管子 / 大匡
魯桓公夫人文姜,齊女也。公將如齊,與夫人皆行。申俞諌曰:「不可。女有家,男有室,無相瀆也,謂之有禮。」公不聴,遂以文姜㑹齊侯於濼。文姜通於齊侯,桓公聞,責文姜。文姜告齊侯,齊侯怒,饗公,使公子彭生乘魯侯,脅之,公薨於車。豎曼曰:「賢者死忠以振疑,百姓寓焉。智者究理而長慮,身得免焉。今彭生二於君,無盡言而諛行,以戲我君,使我君失親戚之禮命,又力成吾君之禍,以搆二國之怨,彭生其得免乎,禍理屬焉!夫君以怒遂禍,不畏惡親,聞容昬生,無醜也,豈及彭生而能止之哉!魯若有誅,必以彭生為說。」二月,魯人告齊曰:「寡君畏君之威,不敢寧居,來修舊好,禮成而不反,無所歸死,請以彭生除之。」齊人為殺彭生,以謝於魯。
新字:魯桓公夫人文姜,斉女也。公将如斉,与夫人皆行。申兪諌曰:「不可。女有家,男有室,無相瀆也,謂之有礼。」公不聴,遂以文姜会斉侯於濼。文姜通於斉侯,桓公聞,責文姜。文姜告斉侯,斉侯怒,饗公,使公子彭生乗魯侯,脅之,公薨於車。豎曼曰:「賢者死忠以振疑,百姓寓焉。智者究理而長慮,身得免焉。今彭生二於君,無尽言而諛行,以戯我君,使我君失親戚之礼命,又力成吾君之禍,以搆二国之怨,彭生其得免乎,禍理属焉!夫君以怒遂禍,不畏悪親,聞容昏生,無醜也,豈及彭生而能止之哉!魯若有誅,必以彭生為説。」二月,魯人告斉曰:「寡君畏君之威,不敢寧居,来修旧好,礼成而不反,無所帰死,請以彭生除之。」斉人為殺彭生,以謝於魯。
書き下し
魯の桓公の夫人文姜は、齊の女なり。公將に齊に如かんとし、夫人と皆行かんとす。申俞諫めて曰く、「不可なり。女に家有り、男に室有り、相瀆す無き、之を禮有りと謂う」と。公聽かず、遂に文姜を以て齊侯と濼に會す。文姜齊侯に通ず、桓公聞きて、文姜を責む。文姜齊侯に告ぐ、齊侯怒り、公を饗し、公子彭生をして魯侯に乘らしめ、之を脅す、公車に薨ず。豎曼曰く、「賢者は忠に死して以て疑を振るう、百姓焉に寓す。智者は理を究めて長く慮る、身焉に免るるを得。今彭生は君に二にして、盡言無くして諛行し、以て我が君に戲れ、我が君をして親戚の禮命を失わしめ、又た力めて吾が君の禍を成し、以て二國の怨みを構う、彭生其れ免るるを得んや、禍の理焉に屬す。夫れ君は怒を以て禍を遂げ、惡親を畏れず、聞きて昬生を容る、醜づる無きなり、豈に彭生に及びて能く之を止めんや。魯若し誅有らば、必ず彭生を以て說と為さん」と。二月、魯人齊に告げて曰く、「寡君君の威を畏れ、敢えて寧居せず、來たりて舊好を修む、禮成りて反らず、死に歸する所無し、請う彭生を以て之を除かん」と。齊人為に彭生を殺し、以て魯に謝す。
現代語訳
魯の桓公の夫人である文姜は斉の女であった。公が斉へ行こうとし、夫人と一緒に行こうとした。申俞が諫めて言った、いけません。女には家があり男には室がある。互いに侵さないのを礼があるといいます。公は聞かず、文姜を連れて濼で斉侯と会った。文姜は斉侯と通じた。桓公はそれを聞いて文姜を責めた。文姜は斉侯に告げた。斉侯は怒り、公をもてなし、公子彭生に魯侯の車に同乗させて脅させた。公は車の中で亡くなった。豎曼が言った、賢者は忠に殉じて疑いを払い、民はそこに拠りどころを得る。知者は理を究めて長く考え、その身は難を免れる。いま彭生は君に対して二心があり、言うべきことを言わずへつらって振る舞い、我が君をからかい、我が君に親族としての礼を失わせ、そのうえ力を尽くして我が君の禍を成し遂げ、二国の怨みを作った。彭生が免れられようか。禍の筋がそこに属している。君は怒りにまかせて禍を遂げ、悪しき親族を畏れず、聞いて愚かなふるまいを許した。恥じるところがない。まして彭生のところまで及んで止められようか。魯が誅を求めれば、必ず彭生を口実にするだろう。二月、魯の人が斉に告げて言った、我が君は君の威を畏れ、安んじていられず、旧交を修めに来ました。礼が済んだのに帰らず、死をどこにも帰せません。どうか彭生をもってこれを除いてください。斉の人は彭生を殺して魯に詫びた。
解説
この章句が説くこと
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