管子 / 兵法
三官不繆,五教不亂,九章著明,則危危而無害,窮窮而無難,故能致逺以數,縱强以制。三官:一曰鼓。鼓所以任也,所以起也,所以進也。二曰金。金所以坐也,所以退也,所以免也。三曰旗。旗所以立兵也,所以利兵也,所以偃兵也。此之謂三官。有三令而兵法治也。五教:一曰教其目以形色之旗,二曰教其身以號令之數,三曰教其足以進退之度,四曰教其手以長短之利,五曰教其心以賞罰之誠。五教各習,而士負以勇矣。
新字:三官不繆,五教不乱,九章著明,則危危而無害,窮窮而無難,故能致遠以数,縦強以制。三官:一曰鼓。鼓所以任也,所以起也,所以進也。二曰金。金所以坐也,所以退也,所以免也。三曰旗。旗所以立兵也,所以利兵也,所以偃兵也。此之謂三官。有三令而兵法治也。五教:一曰教其目以形色之旗,二曰教其身以号令之数,三曰教其足以進退之度,四曰教其手以長短之利,五曰教其心以賞罰之誠。五教各習,而士負以勇矣。
書き下し
三官繆らず、五教亂れず、九章著明なれば、則ち危を危うみて害無く、窮を窮めて難無し、故に能く遠きを致すに數を以てし、強きを縱にするに制を以てす。三官とは、一に曰く鼓。鼓は任ずる所以なり、起こす所以なり、進む所以なり。二に曰く金。金は坐する所以なり、退く所以なり、免るる所以なり。三に曰く旗。旗は兵を立つる所以なり、兵を利くする所以なり、兵を偃す所以なり。此れ之を三官と謂う。三令有りて兵法治まるなり。五教とは、一に曰く其の目を教うるに形色の旗を以てし、二に曰く其の身を教うるに號令の數を以てし、三に曰く其の足を教うるに進退の度を以てし、四に曰く其の手を教うるに長短の利を以てし、五に曰く其の心を教うるに賞罰の誠を以てす。五教各々習わば、而して士は負うに勇を以てす。
現代語訳
三官が食い違わず、五教が乱れず、九章がはっきりしていれば、危ういところを危ういと見て害がなく、窮まったところを窮まったと見て難がない。だから遠くまで至らせるのに数を用い、強い者を思うままに動かすのに制を用いる。三官とは、一に鼓。鼓は任せるためのもの、起こすためのもの、進ませるためのものである。二に金。金は腰を据えるためのもの、退くためのもの、まぬかれるためのものである。三に旗。旗は兵を立てるためのもの、兵を鋭くするためのもの、兵を伏せるためのものである。これを三官という。三つの令があって兵法は治まる。五教とは、一に目を教えるのに形と色の旗を用い、二に身を教えるのに号令の数を用い、三に足を教えるのに進退の度を用い、四に手を教えるのに長短の武器の利を用い、五に心を教えるのに賞罰の誠を用いる。五つの教えをそれぞれ習えば、士は勇を身に負う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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