管子 / 重令
菽粟不足,末生不禁,民必有飢餓之色,而工以雕文刻鏤相稺也,謂之逆。布帛不足,衣服毋度,民必有凍寒之傷,而女以美衣錦繡綦組相稺也,謂之逆。萬乘藏兵之國,卒不能野戰應敵,社稷必有危亡之患,而士以毋分役相稺也,謂之逆。爵人不論能,禄人不論功,則士無為行制死節,而羣臣必通外請謁,取權道行,事便辟,以貴富為榮華以相稺也,謂之逆。
新字:菽粟不足,末生不禁,民必有飢餓之色,而工以雕文刻鏤相稺也,謂之逆。布帛不足,衣服毋度,民必有凍寒之傷,而女以美衣錦繡綦組相稺也,謂之逆。万乗蔵兵之国,卒不能野戦応敵,社稷必有危亡之患,而士以毋分役相稺也,謂之逆。爵人不論能,禄人不論功,則士無為行制死節,而羣臣必通外請謁,取権道行,事便辟,以貴富為栄華以相稺也,謂之逆。
書き下し
菽粟足らず、末生禁ぜられざれば、民必ず飢餓の色有り、而して工は雕文刻鏤を以て相稺る、之を逆と謂う。布帛足らず、衣服に度毋ければ、民必ず凍寒の傷有り、而して女は美衣錦繡綦組を以て相稺る、之を逆と謂う。萬乘藏兵の國、卒野戰して敵に應ずる能わざれば、社稷必ず危亡の患有り、而して士は分役無きを以て相稺る、之を逆と謂う。人に爵するに能を論ぜず、人に禄するに功を論ぜざれば、則ち士は制を行い節に死する為す無く、而して羣臣は必ず外に通じて請謁し、權を取り道を行い、便辟に事え、貴富を以て榮華と為して以て相稺る、之を逆と謂う。
現代語訳
豆や粟が足りず、本業でない稼ぎが禁じられなければ、民には必ず飢えた顔色が出る。それなのに職人が彫り物や飾りの細工で互いに張り合う。これを逆という。布や帛が足りず、衣服に定めがなければ、民には必ず凍える傷が出る。それなのに女が美しい衣や錦の刺繍、組みひもで互いに張り合う。これを逆という。万乗の兵を蔵する国で、兵が野戦で敵に応じられなければ、社稷には必ず危うさと滅びの患いがある。それなのに士が役目を免れていることで互いに張り合う。これを逆という。人に爵を与えるのに能を問わず、禄を与えるのに功を問わなければ、士は制を行い節に殉じることをしなくなり、群臣は必ず外に通じて口利きを頼み、権を取って自分の道を行い、へつらう者に仕え、貴く富むことを栄えとして互いに張り合う。これを逆という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
老子・第3章賢を尚ばざれば、民をして争わざらしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗を為さざらしむ。欲すべきを見さざれば、民の心をして乱れざらしむ。是を以て聖人の治は、其の心を虚しくし、其の腹を実たし、其の志を弱くし、其の骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫の智者をして敢えて為さざらしむ。無為を為せば、則ち治まらざる無し。
-
『韓非子』亡徵第十五耕戰の士困しみ、末作の民利する者は、亡ぶ可きなり。
-
『管子』大匡四年、兵を修め、同甲十萬、車五十乘。管仲に謂いて曰く、「吾が士既に練れ、吾が兵既に多し、寡人魯を服せんと欲す」と。管仲喟然として嘆じて曰く、「齊國危うし、君德を競わずして、兵を競う。天下の國、帶甲十萬なる者鮮なからず。吾小兵を發して以て大兵を服せんと欲す、内には吾が衆を失う。諸侯備えを設け、吾が人詐を設く、國危うき無からんと欲するも、得已めんや」と。公聽かず、果たして魯を伐つ。魯敢えて戰わず、國を去ること五十里にして之が關を為す。魯關内に比するを請い、以て齊に從い、齊も亦た復た魯を侵す毋し。桓公許諾す。
-
『管子』七主七臣夫れ男田せず、女緇せず、工技無用に力めて、而も土地の毛あり、倉庫滿實せんことを欲するは、得可からざるなり。土地毛あらざれば、則ち人足らず。人足らざれば、則ち逆氣生ず。逆氣生ずれば、則ち令行われず。然らば彊敵發して起こらば、善き者と雖も存する能わず。何を以て其の然るを効かさんや。曰く、昔者桀・紂是れなり。賢忠を誅し、讒賊の士に近づきて、婦人を貴び、殺すを好みて勇ならず、富を好みて貧を忘れ、馳獵窮まり無く、鼓樂厭くこと無し。瑶臺玉餔も處るに足らず、馳車千駟も乘材とするに足らず。女樂三千人、鐘石絲竹の音絶えず、百姓罷乏し、君子死する無く、卒に人有る莫く、人に反心有り。周の武王に遇い、遂に周氏の禽と為る。此れ物に營まれて其の情を失う者なり、淫樂に愉しみて後患を忘るる者なり。故に用を設くるに度無ければ、國家踣る。事を舉ぐるに時ならざれば、必ず其の菑を受く。
-
戦国策・主父欲伐中山主父、中山を伐たんと欲し、李疵をして之を観しむ。李疵曰く、「伐つ可きなり。君攻めざれば、天下に後れんことを恐る」と。主父曰く、「何を以てか」と。対えて曰く、「中山の君、蓋を傾け車を与に窮閭隘巷の士に朝する所の者、七十家なり」と。主父曰く、「是れ賢君なり、安んぞ伐つ可けんや」と。李疵曰く、「然らず。士を挙ぐれば、則ち民名を務めて本を存せず。賢を朝すれば、則ち耕す者惰りて戦う者懦す。此くの若くにして亡びざる者は、未だ之れ有らざるなり」と。
-
『塩鉄論』力耕篇文學曰く、古者は、十に一を稅とし、澤梁は時を以て入りて禁ずる無く、黎民咸な南畝を被りて其の務めを失わず。故に三年耕して一年の蓄えを余し、九年耕して三年の蓄え有り。此れ禹・湯の水旱に備えて百姓を安んじたる所以なり。草萊辟けず、田疇治まらざれば、山海の財を擅にし、百末の利を通ずと雖も、猶お贍らす能わざるなり。是を以て古者は力を尚び本を務めて種樹繁く、躬ら耕して時に趣きて衣食足り、凶年を累ぬと雖も人病まざるなり。故に衣食は民の本、稼穡は民の務めなり。二者修まれば、則ち國富みて民安んずるなり。詩に云う、『百室盈ち止み、婦子寧んじ止む』と。