管子 / 法禁
昔者聖王之治人也,不貴其人博學也,欲其人之和同以聴令也。泰誓曰:「紂有臣億萬人,亦有億萬之心。武王有臣三千而一心。」故紂以億萬之心亡,武王以一心存。故有國之君,茍不能同人心,一國威,齊士義,通上之治,以為下法,則雖有廣地衆民,猶不能以為安也。君失其道,則大臣比權重以相舉於國,小臣必循利以相就也。故舉國之士以為亡黨,行公道以為私惠。進則相推於君,退則相譽於民,各便其身,而忘社稷,以廣其居,聚徒威羣,上以蔽君,下以索民,此皆弱君亂國之道也。
新字:昔者聖王之治人也,不貴其人博学也,欲其人之和同以聴令也。泰誓曰:「紂有臣億万人,亦有億万之心。武王有臣三千而一心。」故紂以億万之心亡,武王以一心存。故有国之君,茍不能同人心,一国威,斉士義,通上之治,以為下法,則雖有広地衆民,猶不能以為安也。君失其道,則大臣比権重以相舉於国,小臣必循利以相就也。故舉国之士以為亡党,行公道以為私恵。進則相推於君,退則相誉於民,各便其身,而忘社稷,以広其居,聚徒威羣,上以蔽君,下以索民,此皆弱君乱国之道也。
書き下し
昔者聖王の人を治むるや、其の人の博學なるを貴ばず、其の人の和同して以て令を聽くを欲するなり。泰誓に曰く、「紂に臣億萬人有り、亦た億萬の心有り。武王に臣三千有りて心を一にす」と。故に紂は億萬の心を以て亡び、武王は一心を以て存す。故に國を有つの君、苟くも人心を同じくし、國威を一にし、士義を齊しくし、上の治に通じて以て下の法と為す能わざれば、則ち廣地衆民有りと雖も、猶お以て安しと為す能わざるなり。君其の道を失えば、則ち大臣は權重を比べて以て國に相舉げ、小臣は必ず利に循いて以て相就くなり。故に舉國の士を以て亡黨と為し、公道を行いて以て私惠と為す。進みては則ち君に相推し、退きては則ち民に相譽め、各々其の身を便にして、社稷を忘れ、以て其の居を廣め、徒を聚め羣に威し、上は以て君を蔽い、下は以て民を索む、此れ皆な君を弱くし國を亂すの道なり。
現代語訳
昔の聖王が人を治めたときは、その人が博学であることを貴ばず、その人が和して同じ方を向き、令を聞くことを望んだ。泰誓にいう、紂には臣が億万人あり、心も億万あった。武王には臣が三千あって心は一つだった、と。だから紂は億万の心によって亡び、武王は一つの心によって存した。だから国を持つ君が、人の心を同じくし、国の威を一つにし、士の義をそろえ、上の治め方に通じてそれを下の法とすることができなければ、広い土地と多くの民があっても、安らかとはいえない。君がその道を失えば、大臣は権勢の重さを比べ合って国で互いを推し、小臣は必ず利にしたがって互いに寄り合う。こうして国じゅうの士を集めて党をつくり、公の道を行いながらそれを自分の恵みとする。前に出ては君の前で互いを推し、退いては民の前で互いをほめ、それぞれ自分の身を都合よくして社稷を忘れ、自分の居場所を広げ、仲間を集めて群れに威を張り、上に対しては君の目をふさぎ、下に対しては民から取り立てる。これはみな、君を弱くし国を乱す道である。
解説
この章句が説くこと
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