葉隠 / 聞書第十一
念佛の行者は、出で入る息に佛を忘れざる爲に、名號を唱ふるなり。斯くの如くなるべし。主君を忘れぬを、當介の肝要とするなり。
新字:念仏の行者は、出で入る息に仏を忘れざる為に、名号を唱ふるなり。斯くの如くなるべし。主君を忘れぬを、当介の肝要とするなり。
書き下し
念仏(ねんぶつ)の行者(ぎょうじゃ)は、出で入る息に仏を忘れざる為に、名号(みょうごう)を唱うるなり。斯(か)くの如くなるべし。主君を忘れぬを、当介(とうかい)の肝要とするなり。
現代語訳
念仏の行者が、息を吐き吸うそのたびに仏を忘れまいとして名号を唱えるように、奉公人もこうあるべきだ。主君を片時も忘れないことを、奉公の要とするのである。
解説
奉公の心構えを、念仏の行者の姿になぞらえて説く一条です。熱心な念仏者が呼吸のたびに仏の名を唱えるように、奉公人は一息ごとに主君を思い、片時も忘れるな、というのです。ここで説かれているのは、奉公が勤務時間だけの務めではなく、心の底に絶えず主君を置く生き方だという徹底ぶりです。主従関係を絶対とする封建的な価値観そのものは現代とは相容れませんが、「自分が仕える対象や果たすべき使命を、常に心の中心に置き続ける」という姿勢は、仕事や役割への打ち込み方として読み替えられます。何かに徹して打ち込むとは、それを片時も忘れぬほど自分の一部にすることだ、と教えてくれます。
この章句が説くこと
葉隠奉公念仏主君一心使命
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