風姿花伝 / 第三 問答条々
問文字にあたる風情とは何事ぞや答これこまかなる稽古なり能に諸のはたらきとなる初なり体配身づかひと申すもこれなりたとへばいひ事の文字にまかせて心を遣ふべし見るといふことには目をつかひさすひくなどいふには袖を少しさしひき聞く音するなどには心をよせあらゆる事にまかせて心をちちとつかふはおのづから振にも風情にもなるなり第一 身をつかふこと第二 手をつかふこと第三 足をつかふことなり節とかかりによりて身のふるまひを了簡すべしこれは筆に見えがたしその時にいたりて見るまま習ふべしこの文字にあたる事を稽古しきはめぬれば音曲風体一心になるべし所詮音曲風体一心になる位これまた得たる所なり堪能と申さんもこれなるべし音曲と風体は二つの心なるを一心になるほど達者にきはめたらむは無上第一の上手なるべしこれまことに強き能なるべしまた強き弱き事多く人紛らかすものなり能の品のなきをば強きと心得弱きをば幽玄なりと批判することあやまりなりなにと見るも見弱りのせぬ仕手あるべしこれ強きなりなにと見るも花やかなる仕手これ幽玄なりさればこの文字にあたる道理をしきはめたらんは音曲風体一心になり強き 幽玄の境いづれもいづれもおのづからきはめたる仕手なるべし
書き下し
問、文字にあたる風情とは何事ぞや。答、これこまかなる稽古なり。能に諸のはたらきとなる初なり。体配身づかひと申すもこれなり。たとへば、いひ事の文字にまかせて心を遣ふべし。見るといふことには目をつかひ、さすひくなどいふには袖を少しさしひき、聞く音するなどには心をよせ、あらゆる事にまかせて心をちちとつかふは、おのづから振にも風情にもなるなり。第一、身をつかふこと。第二、手をつかふこと。第三、足をつかふことなり。節とかかりによりて、身のふるまひを了簡すべし。これは筆に見えがたし。その時にいたりて見るまま習ふべし。この文字にあたる事を稽古しきはめぬれば、音曲風体一心になるべし。所詮、音曲風体一心になる位、これまた得たる所なり。堪能と申さんもこれなるべし。音曲と風体は二つの心なるを、一心になるほど達者にきはめたらむは、無上第一の上手なるべし。これまことに強き能なるべし。また強き弱き事、多く人紛らかすものなり。能の品のなきをば強きと心得、弱きをば幽玄なりと批判すること、あやまりなり。なにと見るも見弱りのせぬ仕手あるべし。これ強きなり。なにと見るも花やかなる仕手、これ幽玄なり。されば、この文字にあたる道理をしきはめたらんは、音曲風体一心になり、強き、幽玄の境いづれもいづれも、おのづからきはめたる仕手なるべし。
現代語訳
問い。文字にあたる風情とは何のことか。答え。これは細やかな稽古である。能におけるさまざまな所作の初めとなるものだ。体配・身づかいというのもこれである。たとえば、謡う詞の文字にまかせて心を用いるべきだ。見るということには目を使い、さす・引くなどという時には袖を少し差し引き、聞く・音がするなどには心を寄せ、あらゆる事にまかせて心を細かに用いれば、おのずと所作にも風情にもなる。第一に身を使うこと、第二に手を使うこと、第三に足を使うことである。節(ふし)と掛かり(調子)によって、身のふるまいを判断すべきだ。これは筆では表しがたい。その時に臨んで、見たとおりに習うべきだ。この文字にあたることを稽古し究めれば、音曲(謡)と風体(所作)が一心(一体)になる。結局、音曲と風体が一心になる位、これもまた体得した所である。堪能というのもこれだろう。音曲と風体は本来二つの心であるのを、一心になるほど達者に究めたものは、この上ない第一の名手である。これはまことに強き能である。また強い・弱いということを、多くの人は取り違えている。能に品がないのを強いと思い、弱いのを幽玄だと批判するのは誤りだ。どう見ても見劣りのしない演者がいる。これが強いということだ。どう見ても華やかな演者、これが幽玄である。だから、この文字にあたる道理を究めたものは、音曲と風体が一心になり、強さと幽玄の境地、そのいずれもをおのずと究めた演者である。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第十一念仏(ねんぶつ)の行者(ぎょうじゃ)は、出で入る息に仏を忘れざる為に、名号(みょうごう)を唱うるなり。斯(か)くの如くなるべし。主君を忘れぬを、当介(とうかい)の肝要とするなり。
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風姿花伝・第六 花修一、能に強き幽玄弱き荒きを知ること、大方は見えたる事なればたやすきやうなれども、真実これを知らぬによりて、弱く荒き仕手多し。先づ一切の物まねに、偽るところにて荒くも弱くもなると知るべし。この境、よきほどの工夫にては紛るべし。よくよく心底を分けて案じ修むべきことなり。先づ弱かるべき事を強くするは偽なれば、これ荒きなり。強かるべき事に強きは、これ強きなり、荒きにはあらず。若し強かるべき事を幽玄にせんとて、物まね似たらずは、幽玄にはなくてこれ弱きなり。さるほどにただ物まねにまかせて、その物になり入りて偽なくは、荒くも弱くもあるまじきなり。また強かるべき理過ぎて強きは、殊更荒きなり。幽玄の風体よりなほやさしくせんとせば、これ殊更弱きなり。この分目をよくよく見るに、幽玄と強きと別にあるものと心得る故に迷ふなり。この二つはその物の体にあり。たとへば人においては、女御更衣、または遊女好色美男、草木にも花の類、かやうの数々はそのかたち幽玄の物なり。またあるいは物のふ荒夷、あるいは鬼神、草木にも松杉、かやうの数々の類は強き物と申すべきか。かやうの万物の品々をよく仕似せたらんは、幽玄の物まねは幽玄になり、強きはおのづから強かるべし。この分目をあてがはずして、ただ幽玄にせんとばかり心得て、物まね粗雑なれば、それに似ず。似ぬをば知らで幽玄にするぞと思ふ心、これ弱きなり。されば遊女美男などの物まねをよく似せたらば、おのづから幽玄なるべし。ただ似せんとばかり思ふべし。また強き事をもよく似せたらんは、おのづから強かるべし。但し心得べき事あり。力なくこの道は見所を本にするわざなれば、その当世当世の風儀にて幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては、強き方をばすこし物まねに外るるとも、幽玄の方へはやらせ給ふべし。この工夫をもて作者また心得べき事あり。いかにも申楽の本木には、幽玄ならん人体、まして心言葉をもやさしからんを嗜みて書くべし。それに偽なくは、おのづから幽玄の仕手と見ゆべし。幽玄の理を知りきはめぬれば、おのれと強き所をも知るべし。されば一切の似事をよく似すれば、よそ目に危き所なし。危からぬは強きなり。然ればちちとある言葉のひびきにも、なびき臥すかへるよるなどいふ言葉は和らかなれば、おのづから余勢になるやうなり。おつるくづるるやぶるるまろぶなど申すは、強きひびきなれば、振も強かるべし。さるほどに強き幽玄と申すは、別にあるものにあらず。ただ物まねのすぐなる所、弱き荒きは物まねに外るる所と知るべし。このあてがひをもて作者も、発端の句、一声、和歌などに、人体の物まねによりていかにも幽玄なる余勢たよりを求むる所に、荒き言葉を書き入れ、思ひの外にいりほがなる梵語漢音などを載せたらんは、作者の僻事なり。さだめて言葉のままに風情をせば、人体に似合はぬ所あるべし。但し堪能の人はこの違目を心得て、興がる故実にてなだらかなるやうにしなすべし。それは仕手の功名なり。作者の僻事はのがるべからず。また作者は心得て書けども、若し仕手の心なからんにいたりては、沙汰の外なるべし。これはかくのごとし。また能によりて、さしてこまかに言葉儀理にかからで、大様にすべき能あるべし。さやうの能をば、すぐに舞謡振をもするするとなだらかにすべし。かやうなる能をまたこまかにするは、下手のわざなり。これまた能の下る所と知るべし。然ればよき言葉余勢を求むるも、儀理詰所のなくてはかなはぬ能にいたりてのことなり。すぐなる能には、たとひ幽玄の人体にて剛き言葉を謡ふとも、音曲のかかりだにたしやかならば、これよかるべし。これすなはち能の本様と心得べき事なり。ただ返々かやうの条々をきはめ尽して、さて大様にするならでは、能の庭訓あるべからず。