管子 / 宙合
「天不一時,地不一利,人不一事」,是以著業不得不多,人之名位不得不殊。方明者察于事,故不官于物而旁通于道。道也者,通乎無上,詳乎無窮,運乎諸生。是故辯于一言,察于一治,攻于一事者,可以曲說,而不可以廣舉。聖人由此知言之不可兼也,故博為之治而計其意;知事之不可兼也,故名為之說而況其功。嵗有春秋冬夏,月有上下中旬,日有朝暮,夜有昏晨半,星辰序各有其司,故曰:「天不一時。」山陵岑巖,淵泉閎流,泉踰瀷而不盡,薄承瀷而不滿,髙下肥磽物有所宜,故曰:「地不一利。」鄉有俗,國有法,食飲不同味,衣服異采,世用器械,規矩繩準,稱量數度,品有所成,故曰:「人不一事。」此各事之儀,其詳不可盡也。
新字:「天不一時,地不一利,人不一事」,是以著業不得不多,人之名位不得不殊。方明者察于事,故不官于物而旁通于道。道也者,通乎無上,詳乎無窮,運乎諸生。是故弁于一言,察于一治,攻于一事者,可以曲説,而不可以広舉。聖人由此知言之不可兼也,故博為之治而計其意;知事之不可兼也,故名為之説而況其功。歳有春秋冬夏,月有上下中旬,日有朝暮,夜有昏晨半,星辰序各有其司,故曰:「天不一時。」山陵岑巖,淵泉閎流,泉踰瀷而不尽,薄承瀷而不満,高下肥磽物有所宜,故曰:「地不一利。」郷有俗,国有法,食飲不同味,衣服異采,世用器械,規矩縄準,称量数度,品有所成,故曰:「人不一事。」此各事之儀,其詳不可尽也。
書き下し
「天は時を一にせず、地は利を一にせず、人は事を一にせず」、是を以て業を著すこと多からざるを得ず、人の名位殊ならざるを得ず。方に明らかなる者は事に察なり、故に物に官せずして旁く道に通ず。道なる者は、無上に通じ、無窮に詳らかに、諸生に運る。是の故に一言に辯じ、一治に察に、一事に攻なる者は、以て曲說す可くして、以て廣舉す可からず。聖人は此に由りて言の兼ぬ可からざるを知る、故に博く之が治を為して其の意を計る。事の兼ぬ可からざるを知る、故に名づけて之が說を為して其の功を況す。歳に春秋冬夏有り、月に上下中旬有り、日に朝暮有り、夜に昏晨半有り、星辰の序各々其の司有り、故に曰く「天は時を一にせず」と。山陵は岑巖、淵泉は閎流、泉は瀷を踰えて盡きず、薄は瀷を承けて滿たず、高下肥磽物に宜しき所有り、故に曰く「地は利を一にせず」と。鄉に俗有り、國に法有り、食飲は味を同じくせず、衣服は采を異にし、世々器械を用い、規矩繩準、稱量數度、品に成る所有り、故に曰く「人は事を一にせず」と。此れ各々事の儀にして、其の詳は盡くす可からざるなり。
現代語訳
「天は時を一つにせず、地は利を一つにせず、人は事を一つにしない」。だから立てる業は多くならざるをえず、人の名と位も違わざるをえない。方角に明るい者は事に鋭いので、一つの物に縛られずに広く道に通じる。道とは、上のないところまで通じ、窮まりのないところまで詳しく、あらゆる生きものを巡るものである。だから一つの言に長け、一つの治め方に鋭く、一つの事に巧みな者は、部分については説けても、広く挙げることはできない。聖人はここから、言葉は兼ねられないと知る。だから広くその治め方を立てて、その意を計る。事も兼ねられないと知る。だから名をつけて説を立て、その功を示す。年には春夏秋冬があり、月には上旬中旬下旬があり、日には朝と暮れがあり、夜には夕と明け方と真夜中があり、星の並びにもそれぞれ司るところがある。だから「天は時を一つにせず」という。山や丘は険しくそびえ、淵や泉は広く流れ、泉はあふれても尽きず、浅瀬は受けても満ちず、高低や肥え痩せにそれぞれ向くものがある。だから「地は利を一つにせず」という。郷には習わしがあり、国には法があり、飲食は味が同じでなく、衣服は色が違い、代々器械を用い、コンパスと定規、墨縄と水準器、はかりと数と度があって、品ごとに成るところがある。だから「人は事を一つにしない」という。これがそれぞれの事のありようで、その細かさは尽くせない。
解説
この章句が説くこと
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論語・子罕篇達巷の党人曰く、「大なるかな孔子。博く学びて名を成す所無し。」子之を聞き、門弟子に謂いて曰く、「吾何を執らんか。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。」
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『講孟余話』盡心上 第四十六章今更云ふも事新しけれども、道の大本を云はば、人と生れては人たる所以を知り、五倫を明らかにし、皇国に居ては皇国の体を知り、本藩に仕へては本藩の体を知り、以て根基を建て、扨て其の上にて人々各其の職掌を治むべし。儒官は経史を博覧精究し、天文家は天文、地理家は地理、医家は医術、画家は画法、又弓馬刀槍銃砲、各其の技芸を以て専攻の家業とする者は、更に其の精妙を究め、其の他士は士、農は農、工は工、商は商、皆其の職掌を治むるなり。斯くの如く大小綱目井然と画定する上は、西洋究理学の如きも亦自ら世に廃すべきに非ず。而して又瑣小の事を以て聖人を誹議するに至らぬなり。是れ則ち仁智の極功なり。然らずして惑ふ者は、西洋名物分析等の学を以て修身治国の教への上に加へ、憎む者は或いは其の学を外道邪魔として一切に拒絶する、皆此の章を読まざるなり。
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『政談』儒者の事此の外兵学は江家の家に伝へて、八幡太郎も大江匡房より兵学を伝へたまへり、当時も詩文章律和学兵学数学書学と八色ほどに分け、御家の儒者とも何れとも思ひ寄次第に此の内を一色つゝは請取り、子供にも教へ御用に立つやうに心掛くへしと仰渡され度こと也、経学は家業なれは、御催促に不及ことなり、其の筋々の請取り次第に御蔵の書籍をも御貸し、一色成就して御用にもたゝば芸料をも下され規摸なるやうにあらは、何れも御用に立つやうに成へし、白人の学問も是につれて御用に立つ筋に成へし、何れも何の用にもたゝず、心法のけしき理非の争など、無用の学問とすべし、
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『呻吟語』外篇・治道・仕學を一事と為す世に全才無きこと久し。人を用ふる者は各おの其の長に因らば可なり。夫れ目は聽く能はず、耳は視る能はず、鼻は食らふ能はず、口は臭ぐ能はざるは、勢なり。今の人を用ふるは其の才の堪ふる所、資格の及ぶ所を審らかにせずして、雜然として之を授く。方に會計を司り、輒ち刑名を理む。既に文銓を典り、又た兵柄を握る。之を養ふに其の道を得ず、之を用ふるに其の才に當たらず。之を受くる者は但だ美秩を悅びて自ら量らず。此れを以て事を濟すを求むるは、豈に難からずや。夫れ公綽は但だ老に宜しくして、裨諶は邑を謀る可からず。今の人才豈に能く古昔に倍蓗せんや。愚以為へらく、學校の士を養ひ、科目の人を進むるは、便ち當に溫公の條議の如く、分かちて數科と為し、各おの其の才の近き所を學ばしめ、而して質性英發にして能く眾長を奮ふ者は特に全才一科を設け、其の官を授くるに及びて、各おの長ずる所に任ずべし。夫れ資に近き所有り、習に通ずる所有らば、之を政事に施すに、必ず觀る可き有らん。蓋し古は仕學を以て一事と為し、今日は體用を分かちて兩截と為す。草澤に窮居しては、止だ詞章を事とし、一たび廟廊に入りて、方めて政事を學ぶ。明敏の才、英達の識有りと雖も、豈に能く政を觀ること數月にして便ち每事盡く善きを得んや。鹵莽の施設、鶻突の支吾を免れず。苟しくも大いに敗れずんば、輒ち遷升を得。此れを以て人を用ふれば、堯舜と雖も治まらず。夫れ古の體を明らかにするや適用の才を養ひ、君に致し民を澤すの術は固より已に畎畝の中に熟す。苟しくも能く我を用ふる者あらば、此れを執りて以て往くのみ。今の學校は、流涕す可きなり。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第16段前章にいえる如く、当世の学者は一心一向にその思想を政府の政に凝らし、すでに過剰にして持てあましたる官員の中に割込み、なおも奇計妙策を政の実地に施さんとする者は、その数ほとんどはかるべからず。ただに今日、熱中奔走する者のみならず、内外に執行する書生にいたるまでも、法律を学ぶ者は司法省をねらい、経済学に志す者は大蔵省を目的とし、工学を勉強するは工部に入らんがためなり。万国公法を明らかにするは外務の官員たらんがためなり。かかる勢にては、この書生輩の行末を察するに、専門には不得手にしていわゆる事務なるものに長じ、私に適せずして官に適し、官に容れざれば野に煩悶し、結局は官私不和の媒となる者、その大半におるべし。政府のためを謀れば、はなはだ不便利なり、当人のためを謀れば、はなはだ不了簡なり。今の学者は政府の政談の外に、なお急にして重大なるものなしと思うか。 手近くここにその一、二を示さん。学者はかの公私に雇われたる外国人を見ずや。この外国人は莫大なる月給を取りて何事をなすか。余輩、未だ英国に日本人の雇われて年に数千の給料を取る者あるを聞かず。而して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今より勉強して幾年を過ぎなば、この雇の外国人をやめてこれに交代すべきや。新聞紙の政談に志すも、この交代の日は容易に来ることなかるべし。 また、一昨年一二月八日に金星の日食ありて、諸外国の天文家は日本に来て測量したり。この時において、学者は何の観をなしたるか。金の魚虎は墺国の博覧会に舁つぎ出したれども、自国の金星の日食に、一人の天文学者なしとは不外聞ならずや。

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