管子 / 宙合
「讂充」言心也,心欲忠。「末衡」言耳目也,耳目欲端。中正者,治之本也。耳司聽,聽必順聞,聞審謂之聰。目司視,視必順見。見察謂之明。心司慮,慮必順言,言得謂之知。聰明以知則博,博而不惛,所以易政也。政易民利,利乃勸,勸則告。聽不順不審不聡不審不聡則繆。視不察不明,不察不明則過。慮不得不知,不得不知則昏。繆過以昏則憂,憂則所以伎苛,伎苛所以險政。政險民害,害乃怨,怨則凶,故曰:「讂充末衡。」言「易政利民」也。
新字:「讂充」言心也,心欲忠。「末衡」言耳目也,耳目欲端。中正者,治之本也。耳司聴,聴必順聞,聞審謂之聰。目司視,視必順見。見察謂之明。心司慮,慮必順言,言得謂之知。聰明以知則博,博而不惛,所以易政也。政易民利,利乃勧,勧則告。聴不順不審不聡不審不聡則繆。視不察不明,不察不明則過。慮不得不知,不得不知則昏。繆過以昏則憂,憂則所以伎苛,伎苛所以険政。政険民害,害乃怨,怨則凶,故曰:「讂充末衡。」言「易政利民」也。
書き下し
「讂充つ」とは心を言うなり、心は忠ならんことを欲す。「末衡す」とは耳目を言うなり、耳目は端ならんことを欲す。中正なる者は、治の本なり。耳は聽くを司る、聽けば必ず順いて聞こゆ、聞きて審らかなる、之を聰と謂う。目は視るを司る、視れば必ず順いて見ゆ、見て察なる、之を明と謂う。心は慮るを司る、慮れば必ず順いて言う、言いて得たる、之を知と謂う。聰明にして以て知なれば則ち博し、博くして惛れざるは、政を易うる所以なり。政易くして民利あり、利あれば乃ち勸み、勸めば則ち告ぐ。聽きて順わざれば審らかならず、審らかならざれば聰ならず、聰ならざれば則ち繆る。視て察ならざれば明ならず、察ならず明ならざれば則ち過つ。慮りて得ざれば知ならず、得ず知ならざれば則ち昏し。繆り過ち以て昏ければ則ち憂う、憂うれば則ち伎苛する所以なり、伎苛は政を險にする所以なり。政險しくして民害あり、害あれば乃ち怨み、怨めば則ち凶なり。故に曰く「讂充ち末衡す」と。「政を易えて民を利す」を言うなり。
現代語訳
「心は満ちる」とは心のことを言い、心は忠であろうとする。「端は平らか」とは耳と目のことを言い、耳と目は端正であろうとする。中正であることが治のもとである。耳は聴くことを司り、聴けば必ず順って聞こえる。聞いてはっきりしていることを聡という。目は視ることを司り、視れば必ず順って見える。見て見きわめられることを明という。心は思うことを司り、思えば必ず順って言葉になる。言って的を得ていることを知という。聡く明るく、そのうえ知があれば広い。広くてぼんやりしないのが、政を改められるゆえんである。政が改まれば民に利があり、利があれば励み、励めば知らせてくる。聴いても順わなければはっきりせず、はっきりしなければ聡でなく、聡でなければ誤る。視ても見きわめられなければ明でなく、明でなければ過つ。思っても的を得なければ知でなく、知でなければ暗い。誤り、過ち、暗さがあれば憂え、憂えれば小細工で締めつけ、締めつけは政を険しくする。政が険しければ民に害があり、害があれば怨み、怨めば凶である。だから「心は満ちて端は平らか」という。「政を改めて民を利する」ということである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十四さありて此度長篠にて勝頼公の人数甲州衆うへの原に加藤丹後を残し置き、其余は一円に立て是八千なり、上野衆四千信濃より六千合せて一万八千の内、鳶が巣に千又長篠城奥平押へに千おきて、残る一万六千をもつて七万あまりの人数の節所を三ツまで搆へ、柵の木を三重にふりて待ちかまへてゐる所へ、面もふらずかゝるは、敵四人こなた一人のつもりなれ共、節所と柵の木とを考れば是又敵に十万の加勢なり、縦へば十七万の人数の籠りたる城を一万六千にて責めたるごとくなり、信玄公つねの智略にも千籠りたる城をば、二四の人数にてせめんと定め給ふ、五千にてはことあやうしと有り、
-
『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
-
『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
-
史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一人のするわざ、其善悪十分に知れて、明白なること有り。又其事の有様、其人の心の中、善きも悪しきも、明かに知らざること多し。我が心に悪ししと思ふことも、その実をよく尋ぬれば、道理あることあり。善しと思ふことにも、善からざることあり。かやうのこと唐もやまとも、古今多し。天下皆非なるの理なしと、古人もいへり。何事も、人のしわざに故あらんと思ひ、妄に人を悪みそしるべからず。又妄に誉むべからず。
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る