管子 / 宙合
「鳥飛準繩」,此言大人之義也。夫鳥之飛也,必還山集谷,不還山則困,不集谷則死。山與谷之處也,不必正直,而還山集谷,曲則曲矣,而名繩焉。以為鳥起于北,意南而至于南;起于南,意北而至于北。茍大意得,不以小缺為傷。故聖人美而著之曰:「千里之路,不可扶以繩。萬家之都,不可平以准。」言大人之行,不必以先,帝常義立之謂賢。故為上者之論其下也,不可以失此術也。
新字:「鳥飛準縄」,此言大人之義也。夫鳥之飛也,必還山集谷,不還山則困,不集谷則死。山与谷之処也,不必正直,而還山集谷,曲則曲矣,而名縄焉。以為鳥起于北,意南而至于南;起于南,意北而至于北。苟大意得,不以小欠為傷。故聖人美而著之曰:「千里之路,不可扶以縄。万家之都,不可平以准。」言大人之行,不必以先,帝常義立之謂賢。故為上者之論其下也,不可以失此術也。
書き下し
「鳥飛びて繩に準ず」とは、此れ大人の義を言うなり。夫れ鳥の飛ぶや、必ず山を還り谷に集まる、山を還らざれば則ち困しみ、谷に集まらざれば則ち死す。山と谷との處るや、必ずしも正直ならず、而して山を還り谷に集まる、曲がれば則ち曲がれり、而して名づけて繩とす。以為えらく、鳥は北より起こり、南を意えば南に至り、南より起こり、北を意えば北に至る。苟くも大意得れば、小缺を以て傷と為さず。故に聖人美として之を著して曰く、「千里の路は、扶くるに繩を以てす可からず。萬家の都は、平らかにするに準を以てす可からず」と。大人の行いは、必ずしも先を以てせず、帝の常義もて之を立つるを賢と謂うを言うなり。故に上為る者の其の下を論ずるや、此の術を失う可からざるなり。
現代語訳
「鳥は飛んで墨縄にかなう」とは、大いなる人の義を言ったものである。鳥が飛ぶときは、必ず山をめぐり谷に集まる。山をめぐらなければ苦しみ、谷に集まらなければ死ぬ。山と谷のありようは必ずしもまっすぐではないのに、山をめぐり谷に集まる。曲がっているといえば曲がっているが、それを墨縄にかなうという。思うに、鳥は北から起こって南を目指せば南に至り、南から起こって北を目指せば北に至る。大きな筋さえ得られれば、小さな欠けを傷とはしない。だから聖人はこれを美として記した。千里の道は墨縄で引くことができず、万家の都は水準器で平らにすることができない、と。大いなる人の行いは、必ずしも先手によらない。帝の常の義によってそれを立てることを賢という。だから上に立つ者が下を評するときは、この術を外してはならない。
解説
この章句が説くこと
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