管子 / 宙合
「懷繩與準鉤,多備規軸,減溜大成,是唯時德之節。」夫繩扶撥以為正,準壊險以為平,鉤入枉而出直。此言聖君賢佐之制舉也,博而不失,因以備能而無遺。國猶是國也,民猶是民也,桀、紂以亂亡,湯、武以治昌。章道以教,明法以期,民之興善也如此,湯、武之功是也。
新字:「懐縄与準鉤,多備規軸,減溜大成,是唯時徳之節。」夫縄扶撥以為正,準壊険以為平,鉤入枉而出直。此言聖君賢佐之制舉也,博而不失,因以備能而無遺。国猶是国也,民猶是民也,桀、紂以乱亡,湯、武以治昌。章道以教,明法以期,民之興善也如此,湯、武之功是也。
書き下し
「繩と準鉤を懷き、多く規軸を備え、減溜して大いに成る、是れ唯だ時德の節なり」。夫れ繩は撥を扶けて以て正と為し、準は險を壞して以て平と為し、鉤は枉れるを入れて直きを出だす。此れ聖君賢佐の制舉を言うなり、博くして失わず、因りて以て能を備えて遺す無し。國は猶お是の國なり、民は猶お是の民なり、桀・紂は亂を以て亡び、湯・武は治を以て昌んなり。道を章らかにして以て教え、法を明らかにして以て期すれば、民の善に興ることは此くの如し、湯・武の功是れなり。
現代語訳
「墨縄と水準器と鉤を懐にし、コンパスと軸を多く備え、しずくを集めて大きく成す。これこそ時と徳の節目である」。墨縄はゆがみを助けて正しくし、水準器は険しさを崩して平らにし、鉤は曲がったものを入れてまっすぐにして出す。これは聖君と賢い補佐の、事を挙げるやり方を言ったものである。広く及んで取りこぼさず、それによって能力を備えて遺すところがない。国は同じ国であり、民は同じ民である。桀と紂は乱によって亡び、湯と武は治によって栄えた。道を明らかにして教え、法を明らかにして期すれば、民が善に向かうのはこのとおりである。湯と武の功がそれである。
解説
大工道具の三つを、政の道具として読み替えた段です。墨縄はゆがみを直し、水準器は険しさを平らにし、鉤は曲がったものを入れてまっすぐにして出す。とくに鉤の説明が残ります。曲がったまま受け入れて、まっすぐにして返す。同じ国、同じ民でも、桀紂は亡び湯武は栄えた。違ったのは道具の使い方だけだ、という話の運びです。
この章句が説くこと
縄は撥を扶けて以て正と為し準は険を壊して以て平と為す鉤は枉れるを入れて直きを出だす国は猶お是の国なり民は猶お是の民なり道を章らかにして以て教え法を明らかにして以て期す道具矯正
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