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淮南子 / 齊俗訓

伯樂、韓風、秦牙、管青,所相各異,其知馬一也。故三皇五帝,法籍殊方,其得民心均也。故湯入夏而用其法,武王入殷而行其禮,桀、紂之所以亡,而湯、武之所以為治。故剞劂銷鋸陳,非良工不能以制木;鑪橐埵坊設,非巧冶不能以冶金。屠牛吐一朝解九牛,而刀以剃毛;庖丁用刀十九年,而刀如新剖硎。何則?游乎眾虛之閒。若夫規矩鉤繩者,此巧之具也,而非所以巧也。

新字:伯楽、韓風、秦牙、管青,所相各異,其知馬一也。故三皇五帝,法籍殊方,其得民心均也。故湯入夏而用其法,武王入殷而行其礼,桀、紂之所以亡,而湯、武之所以為治。故剞劂銷鋸陳,非良工不能以制木;鑪橐埵坊設,非巧冶不能以冶金。屠牛吐一朝解九牛,而刀以剃毛;庖丁用刀十九年,而刀如新剖硎。何則?游乎眾虚之閒。若夫規矩鉤縄者,此巧之具也,而非所以巧也。

書き下し

伯樂・韓風・秦牙・管青は、相する所 各々異なるも、其の馬を知るは一なり。故に三皇五帝は、法籍 方を殊にするも、其の民心を得るは均しきなり。故に湯 夏に入りて其の法を用い、武王 殷に入りて其の禮を行う。桀・紂の亡ぶ所以にして、湯・武の治を為す所以なり。故に剞劂銷鋸 陳ぬるも、良工に非ざれば以て木を制する能わず。鑪橐埵坊 設くるも、巧冶に非ざれば以て金を冶する能わず。屠牛吐は一朝に九牛を解きて、刀 以て毛を剃る。庖丁は刀を用うること十九年にして、刀 新たに硎に剖けるが如し。何となれば則ち、眾虛の閒に游べばなり。夫れ規矩鉤繩の若き者は、此れ巧の具なり、而して巧の所以に非ざるなり。

現代語訳

伯楽・韓風・秦牙・管青は、見るところがそれぞれ違うが、馬を知っているという点では同じである。だから三皇五帝は法や記録の方角が違っても、民の心を得ている点では等しい。だから湯は夏に入ってその法を用い、武王は殷に入ってその礼を行った。同じものが桀と紂が亡んだ理由であり、湯と武が治めた理由でもある。だから鑿や鋸を並べても、良い職人でなければ木を仕上げられない。炉やふいごを据えても、巧みな鍛冶でなければ金属を打てない。屠牛吐は一朝に九頭の牛を解体して、その刀で毛を剃れた。庖丁は刀を十九年使って、刀は砥石から下ろしたばかりのようだった。なぜか。多くの隙間のあいだに刃を遊ばせていたからである。さしがねやコンパスや墨縄のようなものは、巧みさの道具であって、巧みさそのものではない。

解説

同じ法を、桀紂は亡ぶために使い、湯武は治めるために使った。道具は同じで、使う人が違う。「剞劂銷鋸 陳ぬるも、良工に非ざれば以て木を制する能わず」。並べただけでは何も作れません。庖丁の刀が十九年経っても新品同様だった理由も、力ではなく「眾虛の閒に游べばなり」。隙間に刃を通すからです。締めが要点で、道具は巧みさの道具であって巧みさではない、と。

この章句が説くこと

伯楽・韓風は相する所各々異なるも其の馬を知るは一なり湯夏に入りて其の法を用い武王殷に入りて其の礼を行う剞劂銷鋸陳ぬるも良工に非ざれば以て木を制する能わず庖丁は刀を用うること十九年にして刀新たに硎に剖けるが如し眾虚の閒に游べばなり規矩鉤縄は巧の具なり而して巧の所以に非ず道具

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