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管子 / 宙合

多備規軸者,成軸也。夫成軸之多也,其處大也不究,其入小也不塞,猶迹求履之憲也,夫焉有不適善?適善,備也,僊也,是以無乏,故諭教者取辟焉。天淯陽,無計量;地化生,無法崖。所謂是而無非,非而無是,是非有,必交來。茍信是,以有不可先規之,必有不可識慮之。然將卒而不戒,故聖人博聞多見,畜道以待物,物至而對,形曲均存矣。減,盡也。溜,發也。言徧環畢,莫不備得,故曰:「減溜大成。」成功之術,必有巨獲,必周於德,審於時。時德之遇,事之㑹也,若合符然。故曰:「是唯時德之節。」

新字:多備規軸者,成軸也。夫成軸之多也,其処大也不究,其入小也不塞,猶迹求履之憲也,夫焉有不適善?適善,備也,僊也,是以無乏,故諭教者取辟焉。天淯陽,無計量;地化生,無法崖。所謂是而無非,非而無是,是非有,必交来。茍信是,以有不可先規之,必有不可識慮之。然将卒而不戒,故聖人博聞多見,畜道以待物,物至而対,形曲均存矣。減,尽也。溜,発也。言遍環畢,莫不備得,故曰:「減溜大成。」成功之術,必有巨獲,必周於徳,審於時。時徳之遇,事之会也,若合符然。故曰:「是唯時徳之節。」

書き下し

多く規軸を備うとは、軸を成すなり。夫れ軸を成すこと多ければ、其の大に處るや究まらず、其の小に入るや塞がらず、猶お迹もて履の憲を求むるがごときなり。夫れ焉んぞ善に適わざること有らんや。善に適うは、備なり、僊なり。是を以て乏しき無し、故に諭教する者は焉に辟を取る。天は陽を淯みて、計量無し。地は化生して、法崖無し。所謂是にして非無く、非にして是無きも、是非有らば、必ず交々來たる。苟くも是を信ずれば、以て先んじて之を規す可からざる有り、必ず識り慮る可からざる有り。然らば將に卒かにして戒めざらんとす、故に聖人は博く聞き多く見、道を畜えて以て物を待ち、物至りて對し、形曲均しく存す。減とは、盡くすなり。溜とは、發するなり。徧く環り畢わりて、備え得ざる莫きを言う、故に曰く「減溜して大いに成る」と。功を成すの術は、必ず巨獲有り、必ず德に周く、時に審らかなり。時と德との遇うは、事の會なり、符を合わすが若く然り。故に曰く「是れ唯だ時德の節なり」と。

現代語訳

コンパスと軸を多く備えるとは、軸を作ることである。軸を作ることが多ければ、大きなところに置いても行き詰まらず、小さなところに入れてもふさがらない。足跡から履物の型を求めるようなものである。どうして善にかなわないことがあろう。善にかなうとは、備わっていることであり、身軽であることである。だから足りないことがない。だから教え諭す者はここから例えを取る。天は陽を育んで計り知れず、地は化して生じ、限りがない。まったく是で非がない、まったく非で是がないということはなく、是と非があれば必ず交互にやって来る。かりに是だけを信じれば、先まわりして測れないものが出てくるし、知って考えることのできないものも必ず出てくる。そうなると急なことに備えられない。だから聖人は広く聞き多く見て、道を蓄えて物を待ち、物が来れば応じ、形も曲がりもひとしく残る。減とは尽くすこと、溜とは発すること。あまねく巡り終えて、備えて得られないものがないことを言う。だから「しずくを集めて大きく成す」という。功を成すやり方には、必ず大きな収穫があり、必ず徳にあまねく、時に明るい。時と徳が出会うのは事の会合であり、割符を合わせたようである。だから「これこそ時と徳の節目である」という。

解説

備えを多く持てば、大きな場でも行き詰まらず、小さな場でも詰まらない。その理由づけが独特です。是だけを信じれば、先まわりして測れないものが必ず出てくる。だから広く聞き多く見て、道を蓄えて待つ。備えとは、正しさを持つことではなく、来たものに応じられる幅を持つことだと言っています。締めは、時と徳が出会うのは割符を合わせるようなものだ、と。

この章句が説くこと

軸を成すこと多ければ其の大に処るや究まらず其の小に入るや塞がらず是非有らば必ず交々来たる聖人は博く聞き多く見道を畜えて以て物を待つ時と徳との遇うは事の会なり符を合わすが若し備え

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