管子 / 五輔
是故聖王飭此八禮,以導其民。八者各得其義,則為人君者中正而無私,為人臣者忠信而不黨,為人父者慈惠以教,為人子者孝悌以肅,為人兄者寛裕以誨,為人弟者比順以敬,為人夫者敦懞以固,為人妻者勸勉以貞。夫然,則下不倍上,臣不殺君,賤不踰貴,少不陵長,逺不間親,新不間舊,小不加大,淫不破義。凡此八者,禮之經也。夫人必知禮然後恭敬,恭敬然後尊讓,尊讓然後少長貴賤不相踰越,少長貴賤不相踰越,故亂不生而患不作。故曰:禮不可不謹也。
新字:是故聖王飭此八礼,以導其民。八者各得其義,則為人君者中正而無私,為人臣者忠信而不党,為人父者慈恵以教,為人子者孝悌以粛,為人兄者寛裕以誨,為人弟者比順以敬,為人夫者敦懞以固,為人妻者勧勉以貞。夫然,則下不倍上,臣不殺君,賤不踰貴,少不陵長,遠不間親,新不間旧,小不加大,淫不破義。凡此八者,礼之経也。夫人必知礼然後恭敬,恭敬然後尊譲,尊譲然後少長貴賤不相踰越,少長貴賤不相踰越,故乱不生而患不作。故曰:礼不可不謹也。
書き下し
是の故に聖王は此の八禮を飭えて、以て其の民を導く。八つの者各々其の義を得れば、則ち人君たる者は中正にして私無く、人臣たる者は忠信にして黨せず、人父たる者は慈惠にして以て教え、人子たる者は孝悌にして以て肅み、人兄たる者は寛裕にして以て誨え、人弟たる者は比順にして以て敬い、人夫たる者は敦懞にして以て固く、人妻たる者は勸勉にして以て貞なり。夫れ然らば、則ち下は上に倍かず、臣は君を殺さず、賤は貴を踰えず、少は長を陵がず、遠は親を間てず、新は舊を間てず、小は大に加えず、淫は義を破らず。凡そ此の八つの者は、禮の經なり。夫れ人必ず禮を知りて然る後に恭敬、恭敬にして然る後に尊讓、尊讓にして然る後に少長貴賤相踰越せず、少長貴賤相踰越せず、故に亂生ぜずして患作らず。故に曰く、禮は謹まざる可からざるなり。
現代語訳
だから聖王はこの八つの礼を整えて民を導く。八つがそれぞれその義を得れば、君である者は中正で私がなく、臣である者は忠信で徒党を組まず、父である者は慈しみ深く教え、子である者は孝悌で慎み、兄である者はゆとりをもって教え、弟である者は素直に敬い、夫である者は篤実で固く、妻である者は励んで貞である。そうであれば、下は上に背かず、臣は君を殺さず、賤しい者は貴い者を越えず、若い者は年長者をしのがず、遠い者は親しい者を隔てず、新しい者は古い者を隔てず、小さい者は大きい者に加えず、みだりなものが義を破らない。この八つが礼の経である。人は必ず礼を知って恭しくなり、恭しくなって尊び譲り、尊び譲って若い者と年長者、貴い者と賤しい者が互いに越えなくなる。互いに越えないから、乱が生じず患いが起こらない。だから言う、礼は慎まないわけにいかない。
解説
この章句が説くこと
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史記 劉敬叔孫通列伝遂に徵す所の三十人と西し、及び上の左右の學を為す者と其の弟子百餘人と、綿蕞(めんぜつ)を野外に為す。之を習ふこと月餘、叔孫通曰く、「上試みに觀るべし」と。上既に觀て、禮を行はしめて曰く、「吾能く此を為さん」と。乃ち群臣をして習肄せしめ、十月に會す。漢の七年、長樂宮成り、諸侯群臣皆十月に朝す。儀は、平明に先だち、謁者禮を治め、引きて次を以て殿門に入らしむ。廷中には車騎步卒を陳ねて宮を衛らしめ、兵を設け旗志を張る。傳へて「趨れ」と言ふ。殿下には郎中陛を俠み、陛ごとに數百人。功臣・列侯・諸將軍・軍吏は次を以て西方に陳なりて東鄉し、文官は丞相以下東方に陳なりて西鄉す。大行九賓を設け、臚傳す。是に於いて皇帝輦にて房を出づ。百官職を執りて警を傳へ、諸侯王以下吏六百石に至るまでを引きて次を以て賀を奉ぜしむ。諸侯王より以下、振恐して肅敬せざる莫し。禮畢はるに至りて、復た法酒を置く。諸々の殿上に侍坐する者、皆伏して首を抑へ、尊卑の次を以て起ちて壽を上る。觴九たび行き、謁者「酒を罷めよ」と言ふ。御史法を執り、儀の如くならざる者を舉げて輒ち引き去る。朝を竟へて酒を置くに、敢へて讙譁して禮を失ふ者無し。是に於いて高帝曰く、「吾乃ち今日皇帝為るの貴きを知れり」と。乃ち叔孫通を拜して太常と為し、金五百斤を賜ふ。叔孫通因りて進みて曰く、「諸弟子儒生、臣に隨ふこと久し。臣と共に儀を為す。願はくは陛下之を官とせよ」と。高帝悉く以て郎と為す。叔孫通出でて、皆五百斤の金を以て諸生に賜ふ。諸生乃ち皆喜びて曰く、「叔孫生は誠に聖人なり。當世の要務を知る」と。漢の九年、高帝叔孫通を徙して太子太傅と為す。漢の十二年、高祖趙王如意を以て太子に易へんと欲す。叔孫通上を諫めて曰く、「昔者晉の獻公、驪姬の故を以て太子を廢し、奚齊を立つ。晉國亂るること數十年、天下の笑ひと為る。
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 礼の以て国を為むべきや久し式(もっ)て謌(うた)ひ且つ舞へ』と。陳氏の施し、民之を謌舞す。後世若し少しく惰りて陳氏にして亡びずんば、則ち國は其の國ならんのみ」と。公曰く、「善いかな。是れ若何す可き」と。對へて曰く、「唯だ禮以って之を已む可し。禮に在りては、家の施しは國に及ばず、民は遷らず、農は移らず、工・賈は變ぜず、士は濫せず、官は滔(おご)らず、大夫は公利を收めず」と。公曰く、「善いかな。我能はざるなり。吾今にして後に禮の以って國を為む可きを知る」と。對へて曰く、「禮の以って國を為む可きや久し。天地と並ぶ。君令し臣共し、父慈に子孝に、兄愛し弟敬し、夫和し妻柔に、姑慈に婦聽く、禮なり。君令して違はず、臣共して貳(ふたごころ)あらず、父慈にして教へ、子孝にして箴(いさ)め、兄愛して友に、弟敬して順ひ、夫和して義あり、妻柔にして正しく、姑慈にして從ひ、婦聽きて婉(ゑん)なるは、禮の善物なり」と。公曰く、「善いかな。寡人今にして後に此の禮の上を聞く」と。對へて曰く、「先王の天地に稟くる所にして、以って其の民を為むるなり。是を以って先王之を上ぶ」と。
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