管子 / 五輔
曰:民知義矣,而未知禮,然後飾八經以導之禮。所謂八經者何?曰:上下有義,貴賤有分,長㓜有等,貧富有度。凡此八者,禮之經也。故上下無義則亂,貴賤無分則争,長㓜無等則倍,貧富無度則失。上下亂,貴賤争,長㓜倍,貧富失,而國不亂者,未之嘗聞也。
新字:曰:民知義矣,而未知礼,然後飾八経以導之礼。所謂八経者何?曰:上下有義,貴賤有分,長幼有等,貧富有度。凡此八者,礼之経也。故上下無義則乱,貴賤無分則争,長幼無等則倍,貧富無度則失。上下乱,貴賤争,長幼倍,貧富失,而国不乱者,未之嘗聞也。
書き下し
曰く、民は義を知れり、而して未だ禮を知らず、然る後に八經を飾りて以て之を禮に導く。所謂八經とは何ぞや。曰く、上下に義有り、貴賤に分有り、長幼に等有り、貧富に度有り。凡そ此の八つの者は、禮の經なり。故に上下に義無ければ則ち亂れ、貴賤に分無ければ則ち爭い、長幼に等無ければ則ち倍き、貧富に度無ければ則ち失う。上下亂れ、貴賤爭い、長幼倍き、貧富失いて、而して國亂れざる者は、未だ之れ嘗て聞かざるなり。
現代語訳
言う、民は義を知った、しかしまだ礼を知らない。そこで八つの経を整えて礼へ導く。八つの経とは何か。上下に義があり、貴賤に分があり、長幼に等があり、貧富に度がある。この八つが礼の経である。だから上下に義がなければ乱れ、貴賤に分がなければ争い、長幼に等がなければ背き、貧富に度がなければ失う。上下が乱れ、貴賤が争い、長幼が背き、貧富が度を失って、それで国が乱れなかった例は聞いたことがない。
解説
礼を四つの組で示した段です。上下・貴賤・長幼・貧富。それぞれに義・分・等・度がある、という並べ方で、これを八つと数えました。おもしろいのは貧富が入っていることでしょう。礼の話に、富の偏りの度合いが同じ格で並んでいます。四つが崩れたときの言葉も一つずつ違い、乱れる・争う・背く・失う、と壊れ方を書き分けました。
この章句が説くこと
民は義を知れり而して未だ礼を知らず然る後に八経を飾りて以て之を礼に導く上下に義有り貴賤に分有り長幼に等有り貧富に度有り貧富に度無ければ則ち失う上下乱れ貴賤争いて国乱れざる者は未だ之れ嘗て聞かざるなり礼格差
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史記 劉敬叔孫通列伝遂に徵す所の三十人と西し、及び上の左右の學を為す者と其の弟子百餘人と、綿蕞(めんぜつ)を野外に為す。之を習ふこと月餘、叔孫通曰く、「上試みに觀るべし」と。上既に觀て、禮を行はしめて曰く、「吾能く此を為さん」と。乃ち群臣をして習肄せしめ、十月に會す。漢の七年、長樂宮成り、諸侯群臣皆十月に朝す。儀は、平明に先だち、謁者禮を治め、引きて次を以て殿門に入らしむ。廷中には車騎步卒を陳ねて宮を衛らしめ、兵を設け旗志を張る。傳へて「趨れ」と言ふ。殿下には郎中陛を俠み、陛ごとに數百人。功臣・列侯・諸將軍・軍吏は次を以て西方に陳なりて東鄉し、文官は丞相以下東方に陳なりて西鄉す。大行九賓を設け、臚傳す。是に於いて皇帝輦にて房を出づ。百官職を執りて警を傳へ、諸侯王以下吏六百石に至るまでを引きて次を以て賀を奉ぜしむ。諸侯王より以下、振恐して肅敬せざる莫し。禮畢はるに至りて、復た法酒を置く。諸々の殿上に侍坐する者、皆伏して首を抑へ、尊卑の次を以て起ちて壽を上る。觴九たび行き、謁者「酒を罷めよ」と言ふ。御史法を執り、儀の如くならざる者を舉げて輒ち引き去る。朝を竟へて酒を置くに、敢へて讙譁して禮を失ふ者無し。是に於いて高帝曰く、「吾乃ち今日皇帝為るの貴きを知れり」と。乃ち叔孫通を拜して太常と為し、金五百斤を賜ふ。叔孫通因りて進みて曰く、「諸弟子儒生、臣に隨ふこと久し。臣と共に儀を為す。願はくは陛下之を官とせよ」と。高帝悉く以て郎と為す。叔孫通出でて、皆五百斤の金を以て諸生に賜ふ。諸生乃ち皆喜びて曰く、「叔孫生は誠に聖人なり。當世の要務を知る」と。漢の九年、高帝叔孫通を徙して太子太傅と為す。漢の十二年、高祖趙王如意を以て太子に易へんと欲す。叔孫通上を諫めて曰く、「昔者晉の獻公、驪姬の故を以て太子を廢し、奚齊を立つ。晉國亂るること數十年、天下の笑ひと為る。
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