管子 / 幼官
千里之外,二千里之内,諸侯三年而朝,習命;二年,三卿使四輔;一年,正月朔日,令大夫來修,受命三公。二千里之外,三千里之内,諸侯五年而㑹,至,習命;三年,名卿請事;二年,大夫通吉凶;十年,重適入正禮義;五年,大夫請受變。三千里之外,諸侯世一至,置大夫以為廷安,入共受命焉。此居於圖北方方外。
新字:千里之外,二千里之内,諸侯三年而朝,習命;二年,三卿使四輔;一年,正月朔日,令大夫来修,受命三公。二千里之外,三千里之内,諸侯五年而会,至,習命;三年,名卿請事;二年,大夫通吉凶;十年,重適入正礼義;五年,大夫請受変。三千里之外,諸侯世一至,置大夫以為廷安,入共受命焉。此居於図北方方外。
書き下し
千里の外、二千里の内、諸侯は三年にして朝し、命を習う。二年にして、三卿四輔に使いす。一年にして、正月朔日、大夫をして來たり修めしめ、命を三公に受く。二千里の外、三千里の内、諸侯は五年にして會し、至りて命を習う。三年にして、名卿事を請う。二年にして、大夫吉凶を通ず。十年にして、重適入りて禮義を正す。五年にして、大夫變を受くるを請う。三千里の外、諸侯は世に一たび至り、大夫を置きて以て廷安と為し、入りて共に命を受く。此れ圖の北方方外に居る。
現代語訳
千里の外、二千里の内の諸侯は、三年に一度参内して命を習う。二年に一度、三卿が四輔のもとへ使いする。一年に一度、正月の朔日に大夫を来させて改め、命を三公から受ける。二千里の外、三千里の内の諸侯は、五年に一度集まり、至って命を習う。三年に一度、名のある卿が事を請う。二年に一度、大夫が吉凶を通じる。十年に一度、跡継ぎが入って礼義を正す。五年に一度、大夫が変更を願い出る。三千里の外の諸侯は、一代に一度だけ参内し、大夫を置いて朝廷付きとし、入って一緒に命を受ける。これは図の北方、外側に置かれる。
解説
距離によって、参内の間隔を変える定めです。千里から二千里なら三年に一度、二千里から三千里なら五年に一度、三千里の外なら一代に一度。近い者ほど頻繁に、遠い者ほどまれに。そのぶん、遠い相手には大夫を常駐させて穴を埋めます。無理のない頻度を距離から決めるという発想で、届く範囲を正直に見積もった制度です。
この章句が説くこと
千里の外二千里の内諸侯は三年にして朝し命を習う二千里の外三千里の内諸侯は五年にして会す三千里の外諸侯は世に一たび至る大夫を置きて以て廷安と為し入りて共に命を受く距離頻度
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