管子 / 七法
言是而不能立,言非而不能廢;有功而不能賞,有罪而不能誅,若是而能治民者,未之有也。是必立,非必廢,有功必賞,有罪必誅,若是安治矣,未也,是何也?曰:形勢器械未具,猶之不治也。形勢器械具四者備,治矣。不能治其民,而能彊其兵者,未之有也。能治其民矣,而不明于為兵之數,猶之不可。不能彊其兵,而能必勝敵國者,未之有也;能彊其兵,而不明于勝敵國之理,猶之不勝也。兵不必勝敵國,而能正天下者,未之有也。兵必勝敵國矣,而不明正天下之分,猶之不可,故曰:治民有器,為兵有數,勝敵國有理。
新字:言是而不能立,言非而不能廃;有功而不能賞,有罪而不能誅,若是而能治民者,未之有也。是必立,非必廃,有功必賞,有罪必誅,若是安治矣,未也,是何也?曰:形勢器械未具,猶之不治也。形勢器械具四者備,治矣。不能治其民,而能彊其兵者,未之有也。能治其民矣,而不明于為兵之数,猶之不可。不能彊其兵,而能必勝敵国者,未之有也;能彊其兵,而不明于勝敵国之理,猶之不勝也。兵不必勝敵国,而能正天下者,未之有也。兵必勝敵国矣,而不明正天下之分,猶之不可,故曰:治民有器,為兵有数,勝敵国有理。
書き下し
是を言いて立つる能わず、非を言いて廢する能わず、功有りて賞する能わず、罪有りて誅する能わず、是くの若くにして能く民を治むる者は、未だ之れ有らざるなり。是は必ず立て、非は必ず廢し、功有らば必ず賞し、罪有らば必ず誅す、是くの若くんば安治せん、未だしなり。是れ何ぞや。曰く、形勢器械未だ具わらざれば、猶お之れ治まらざるがごとし。形勢器械具わり四者備われば、治まる。其の民を治むる能わずして、能く其の兵を彊くする者は、未だ之れ有らざるなり。能く其の民を治むるも、兵を為すの數に明らかならざれば、猶お之れ不可なり。其の兵を彊くする能わずして、能く必ず敵國に勝つ者は、未だ之れ有らざるなり。能く其の兵を彊くするも、敵國に勝つの理に明らかならざれば、猶お之れ勝たざるなり。兵必ずしも敵國に勝たずして、能く天下を正す者は、未だ之れ有らざるなり。兵必ず敵國に勝つも、天下を正すの分に明らかならざれば、猶お之れ不可なり。故に曰く、民を治むるに器有り、兵を為すに數有り、敵國に勝つに理有りと。
現代語訳
正しいと言いながら立てられず、間違いと言いながら廃せられず、功があっても賞せられず、罪があっても誅せられない。そんなことで民を治められた者は、いまだかつていない。正しいものは必ず立て、間違いは必ず廃し、功があれば必ず賞し、罪があれば必ず誅する。そうすればまず治まる。──いや、まだである。なぜか。形勢と器械がそろっていなければ、やはり治まらない。形勢と器械がそろい、四つが備わって、はじめて治まる。民を治められないのに兵を強くできた者は、いまだかつていない。民を治められても、兵を用いる数に明るくなければ、やはりだめである。兵を強くできないのに必ず敵国に勝てた者は、いまだかつていない。兵を強くできても、敵国に勝つ理に明るくなければ、やはり勝てない。兵が必ず敵国に勝つのでないのに天下を正せた者は、いまだかつていない。兵が必ず敵国に勝っても、天下を正す分に明るくなければ、やはりだめである。だから言う、民を治めるには器があり、兵を用いるには数があり、敵国に勝つには理がある、と。
解説
この章句が説くこと
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