管子 / 乘馬
無為者帝,為而無以為者王,為而不貴者霸。不自以為所貴,則君道也。貴而不過度,則臣道也。
新字:無為者帝,為而無以為者王,為而不貴者覇。不自以為所貴,則君道也。貴而不過度,則臣道也。
書き下し
無為なる者は帝たり、為して以て為すこと無き者は王たり、為して貴ばざる者は霸たり。自ら以て貴ばるる所と為さざるは、則ち君道なり。貴くして度を過ぎざるは、則ち臣道なり。
現代語訳
何もしない者が帝となり、行いながらそれを行いとしない者が王となり、行っても自分を貴くしない者が覇となる。自分を貴ばれるべき者としないのが君主の道であり、貴くありながら度を越さないのが臣下の道である。
解説
帝・王・覇の違いを、していることの量ではなく、自分をどこに置いているかで分けた段です。何もしない、行っても行いとしない、行っても自分を貴くしない。三段とも、手柄から自分を引き離す度合いで並んでいます。君と臣の道もその延長で、片方は自分を貴ばず、片方は貴くても度を越さない。どちらも上限の話になっています。
この章句が説くこと
無為なる者は帝たり為して以て為すこと無き者は王たり為して貴ばざる者は覇たり自ら以て貴ばるる所と為さざるは則ち君道なり貴くして度を過ぎざるは則ち臣道なり帝王覇無為手柄
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