管子 / 立政
正月之朔,百吏在朝,君乃出令布憲于國。五鄉之師,五屬大夫,皆受憲于太史。大朝之日,五鄉之師,五屬大夫,皆身習憲于君前。太史既布憲,入籍于太府,憲籍分于君前。五鄉之師出朝,遂于鄉官,致于鄉屬,及于游宗,皆受憲。憲既布,乃反致令焉,然後敢就舍。憲未布,令未致,不敢就舍,就舍謂之留令,死罪不赦。五屬大夫,皆以行車朝,出朝不敢就舍,遂行。至都之日,遂於廟,致屬吏,皆受憲。憲既布,乃發使者,致令以布憲之日,蚤晏之時。憲既布,使者以發,然後敢就舍。憲未布,使者未發,不敢就舍,就舍謂之留令,罪死不赦。憲既布,有不行憲者,謂之不從令,罪死不赦。考憲而有不合于太府之籍者,侈曰專制,不足曰虧令,罪死不赦。首憲既布,然後可以布憲。
新字:正月之朔,百吏在朝,君乃出令布憲于国。五鄉之師,五属大夫,皆受憲于太史。大朝之日,五鄉之師,五属大夫,皆身習憲于君前。太史既布憲,入籍于太府,憲籍分于君前。五鄉之師出朝,遂于鄉官,致于鄉属,及于游宗,皆受憲。憲既布,乃反致令焉,然後敢就舎。憲未布,令未致,不敢就舎,就舎謂之留令,死罪不赦。五属大夫,皆以行車朝,出朝不敢就舎,遂行。至都之日,遂於廟,致属吏,皆受憲。憲既布,乃発使者,致令以布憲之日,蚤晏之時。憲既布,使者以発,然後敢就舎。憲未布,使者未発,不敢就舎,就舎謂之留令,罪死不赦。憲既布,有不行憲者,謂之不従令,罪死不赦。考憲而有不合于太府之籍者,侈曰専制,不足曰虧令,罪死不赦。首憲既布,然後可以布憲。
書き下し
正月の朔、百吏朝に在り、君乃ち令を出だし憲を國に布く。五鄉の師、五屬の大夫、皆憲を太史に受く。大朝の日、五鄉の師、五屬の大夫、皆身ら憲を君前に習う。太史既に憲を布けば、籍を太府に入れ、憲籍君前に分かつ。五鄉の師朝を出で、遂に鄉官に、鄉屬に致し、游宗に及ぶまで、皆憲を受く。憲既に布かれ、乃ち反りて令を致す、然る後に敢えて舍に就く。憲未だ布かれず、令未だ致さざれば、敢えて舍に就かず、舍に就くは之を留令と謂い、死罪赦さず。五屬の大夫は、皆行車を以て朝し、朝を出でて敢えて舍に就かず、遂に行く。都に至るの日、遂に廟に、屬吏を致し、皆憲を受く。憲既に布かれ、乃ち使者を發し、令を致すに憲を布くの日、蚤晏の時を以てす。憲既に布かれ、使者以て發し、然る後に敢えて舍に就く。憲未だ布かれず、使者未だ發せざれば、敢えて舍に就かず、舍に就くは之を留令と謂い、罪死して赦さず。憲既に布かれ、憲を行わざる者有らば、之を不從令と謂い、罪死して赦さず。憲を考えて太府の籍に合わざる者有らば、侈れるを專制と曰い、足らざるを虧令と曰い、罪死して赦さず。首憲既に布かれ、然る後に以て憲を布く可し。
現代語訳
正月の一日、役人がみな朝廷にそろい、君主は令を出して憲を国に布く。五郷の師と五属の大夫は、みな憲を太史から受け取る。大朝の日には、五郷の師と五属の大夫が、みな自分で憲を君の前で読み習う。太史が憲を布き終えると、控えを太府に納め、憲の控えを君の前で分ける。五郷の師は朝廷を出ると、そのまま郷の役所へ、郷の属へ届け、游宗に至るまで、みな憲を受ける。憲が布かれ終えたら、戻って令を果たした旨を届け、そのうえでようやく宿に入る。憲がまだ布かれず、令をまだ届けていないのに宿に入ってはならない。宿に入れば「令を留めた」といい、死罪で赦されない。五属の大夫はみな車で参内し、朝廷を出たらそのまま宿に入らず、すぐ出発する。都に着いた日には、そのまま廟に行き、属吏を集めてみな憲を受ける。憲が布かれたら使者を出し、令を届けるにあたっては憲を布いた日と、その朝夕の時刻まで記す。憲が布かれ、使者が出て、そのうえでようやく宿に入る。憲がまだ布かれず、使者がまだ出ていないのに宿に入れば「令を留めた」といい、死罪で赦されない。憲が布かれたのに憲を行わない者があれば「令に従わない」といい、死罪で赦されない。憲を照らして太府の控えと合わない者があれば、多いほうは「勝手に決めた」といい、足りないほうは「令を欠いた」といって、死罪で赦されない。まずこの根本の憲が布かれ、そのうえではじめて憲を布くことができる。
解説
この章句が説くこと
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孫子・用間篇凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず先ず其の守将・左右・謁者・門者・舎人の姓名を知り、吾が間をして必ず之を索め知らしむ。
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説苑・君道魯の哀公、孔子に問いて曰く、「吾聞く、君子は博せずと、之れ有りや」と。孔子対えて曰く、「之れ有り」と。哀公曰く、「何為れぞ其れ博せざるや」と。孔子対えて曰く、「其の二乗有るが為なり」と。哀公曰く、「二乗有れば則ち何為れぞ博せざるや」と。孔子対えて曰く、「其の悪道を行うが為なり」と。哀公懼る。間有りて曰く、「是くの若きか、君子の悪道を悪むの甚だしきや」と。孔子対えて曰く、「悪道を悪むこと甚だしからざれば、則ち其の善道を好むも亦た甚だしかる能わず。善道を好むこと甚だしからざれば、則ち百姓の之に親しむや、亦た甚だしかる能わず」と。詩に云う、「未だ君子を見ず、憂心惙惙たり、亦た既に之を見、亦た既に之に覯う、我が心則ち説ぶ」と。詩の善道を好むの甚だしきこと此くの如し。哀公曰く、「善きかな。吾聞く、君子は人の美を成し、人の悪を成さずと。孔子微りせば、吾焉んぞ斯の言を聞かんや」と。
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