管子 / 權脩
上恃龜筮,好用巫毉則鬼神驟祟故功之不立,名之不章,為之患者三:有獨王者,有貧賤者,有日不足者。一年之計,莫如樹榖十年之計,莫如樹木;終身之計,莫如樹人。一樹一穫者,榖也;一樹十穫者,木也;一樹百穫者,人也。我茍種之,如神用之,舉事如神,唯王之門。
新字:上恃亀筮,好用巫毉則鬼神驟祟故功之不立,名之不章,為之患者三:有独王者,有貧賤者,有日不足者。一年之計,莫如樹榖十年之計,莫如樹木;終身之計,莫如樹人。一樹一穫者,榖也;一樹十穫者,木也;一樹百穫者,人也。我茍種之,如神用之,舉事如神,唯王之門。
書き下し
上龜筮を恃み、好みて巫毉を用うれば則ち鬼神驟々に祟る。故に功の立たず、名の彰れざる、之を患と為す者三つ。獨王なる者有り、貧賤なる者有り、日足らざる者有り。一年の計は、穀を樹うるに如くは莫し。十年の計は、木を樹うるに如くは莫し。終身の計は、人を樹うるに如くは莫し。一たび樹えて一たび穫るは、穀なり。一たび樹えて十たび穫るは、木なり。一たび樹えて百たび穫るは、人なり。我れ苟くも之を種え、神の如く之を用うれば、事を舉ぐること神の如し、唯だ王の門なり。
現代語訳
上が占いに頼り、巫女や医者を好んで用いれば、鬼神はしきりに祟る。だから功が立たず、名が現れない。その患いは三つある。ひとりよがりに王たろうとする者、貧賤な者、日数の足りない者である。一年の計は穀物を植えるに越したことはない。十年の計は木を植えるに越したことはない。一生の計は人を植えるに越したことはない。一度植えて一度収穫するのが穀物、一度植えて十度収穫するのが木、一度植えて百度収穫するのが人である。かりにも人を植え、それを神のように用いれば、事を起こすことも神のようになる。それこそが王への門である。
解説
一年の計は穀、十年の計は木、終身の計は人。日本でもよく引かれる一句の出どころです。読みどころは、そのあとに収穫の回数を並べたところにあります。穀は一回、木は十回、人は百回。植える手間はどれも一度で、違うのは返ってくる回数だけだ、という言い方です。手前に置かれた三つの患いのうち、ひとりよがりが筆頭に来ているのも見逃せません。
この章句が説くこと
一年の計は穀を樹うるに如くは莫し十年の計は木を樹うるに如くは莫し終身の計は人を樹うるに如くは莫し一たび樹えて百たび穫るは人なり上亀筮を恃み好みて巫毉を用うれば則ち鬼神驟々に祟る我れ苟くも之を種え神の如く之を用う人材長期
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