韓非子 / 難二第三十七
齊桓公之時,晉客至,有司請禮。桓公曰「告仲父」者三。而優笑曰:「易哉,爲君!一曰仲父,二曰仲父。」
新字:斉桓公之時,晋客至,有司請礼。桓公曰「告仲父」者三。而優笑曰:「易哉,為君!一曰仲父,二曰仲父。」
書き下し
斉の桓公の時、晋の客至る、有司礼を請ふ。桓公「仲父に告げよ」と曰ふ者三たび。而して優笑ひて曰く、「易いかな、君為ること。一に曰く仲父、二に曰く仲父」と。
現代語訳
斉の桓公の時代に、晋からの客が来たので、係の役人が接待の礼をどうするか指示を仰いだ。桓公は三度とも「仲父(管仲)に聞け」と言った。すると道化役者が笑って言った。「気楽なものですね、君主というのは。一にも仲父、二にも仲父」。
解説
難二篇の五つ目の話の書き出しです。晋からの賓客の接待について役人が指示を仰ぐと、斉の桓公は三度とも「仲父(管仲)に聞け」と答え、道化役者に、君主とはなんと気楽なものかとからかわれます。この後、桓公は、人の君たる者は人を探すのに苦労し、人を使うのは楽だと聞く、自分は管仲を得るまでが大変だったのだから、得た後は楽をして当然だと答えます。任せる君主の名言として伝えられてきた言葉ですが、韓非は次の単位以降で、賢者を得ることはそれほど難しくなく、むしろ人を使うことこそ楽ではないと反論していきます。優秀な右腕に何でも任せる姿は、信頼の表れにも、責任の放棄にも見えます。任せることと丸投げすることの違いを考えさせる導入です。
関連する章句
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
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呂氏春秋・任數③有司、事を齊の桓公に請う。桓公曰く、「以て仲父に告げよ。」有司又請う。公曰く、「仲父に告げよ。」是くの若くすること三たび。習者曰く、「一にも則ち仲父、二にも則ち仲父、易きかな君為ること。」桓公曰、「吾未だ仲父を得ざれば則ち難し、已に仲父を得し後は、曷為れぞ其れ易からざらん。」桓公、管子を得てすら、事猶ほ大いに易し。又況んや道術を得るに於いてをや。
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『新序』雜事第四有司吏を齊の桓公に請う。桓公曰く、以て仲父に告げよ、と。有司又た請う。桓公曰く、以て仲父に告げよ、と。是くの若き者三たびなり。側に在る者曰く、一たびは則ち仲父に告げよ、二たびは則ち仲父に告げよ。易きかな君爲るは、と。桓公曰く、吾未だ仲父を得ざれば則ち難し。已に仲父を得たり。曷爲れぞ其れ易からざらんや、と。故に王者は人を求むるに勞し、賢を得るに佚す。舜衆賢を舉げて位に在らしめ、衣裳を垂れ、己を恭しくして爲す無くして、天下治まる。湯・文は伊・呂を用い、成王は周・召を用いて、刑措きて用いず、兵偃して動かず。衆賢を用うればなり。桓公管仲を用うるは則ち小なり。故に霸に至りて、以て王たる能わず。故に孔子曰く、小なるかな、管仲の器、と。蓋し其の桓公に遇いしを善しとし、其の以て王たる能わざるを惜しむなり。明主に至りては則ち然らず。用うる所大なり。詩に曰く、濟濟たる多士、文王以て寧し、と。此の謂いなり。
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『韓非子』難二第三十七人を索むるに労せず、人を使うに佚せず。而るに桓公「人を索むるに労し、人を使うに佚す」と曰うは、然らざるなり。
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『韓非子』難二第三十七且つ桓公の管仲を得るも又難からず。管仲其の君に死せずして桓公に帰し、鮑叔官を軽んじ能に譲りて之に任ず、桓公の管仲を得ること又難からざること、明らかなり。已に管仲を得たる後、奚ぞ遽かに易からんや。管仲は周公旦に非ず。周公旦は仮りに天子為ること七年、成王壮なれば、之に授くるに政を以てす、天下の為に計るに非ざるなり、其の職の為なり。夫れ子を奪はずして天下を行ふ者は、必ず死君に背きて其の讎に事へず。死君に背きて其の讎に事ふる者は、必ず子を奪ひて天下を行ふを難しとせず。子を奪ひて天下を行ふを難しとせざる者は、必ず其の君の国を奪ふを難しとせず。管仲は、公子糾の臣なり、桓公を殺さんと謀りて能はず、其の君死して桓公に臣たり、管仲の取舎の周公旦に非ざること、知る可きなり。若し管仲をして大賢ならしめば、且に湯・武と為らんとす。湯・武は、桀・紂の臣なり。桀・紂乱を作し、湯・武之を奪ふ。今桓公易きを以て其の上に居る、是れ桀・紂の行を以て湯・武の上に居るなり、桓公危ふし。若し管仲をして不肖の人ならしめば、且に田常と為らんとす。田常は、簡公の臣なり、而して其の君を弑す。今桓公易きを以て其の上に居る、是れ簡公の易きを以て田常の上に居るなり、桓公又危ふし。管仲の周公旦に非ざること以て明らかなり、然れども湯・武と田常とに為ること、未だ知る可からざるなり。湯・武と為らば、桀・紂の危ふき有り。田常と為らば、簡公の乱有るなり。已に仲父を得たる後、桓公奚ぞ遽かに易からんや。若し桓公の管仲に任ずるをして、必ず己を欺かざるを知らしめば、是れ主を欺かざるの臣を知るなり。然れども主を欺かざるの臣を知ると雖も、今桓公管仲に任ずるの専らなるを以て竪刁・易牙に借し、蟲流れて戸を出でて葬られず、桓公は臣の主を欺くと主を欺かざるとを知らざること已に明らかなり、而るに臣に任ずること彼の如く其れ専らなり、故に曰く、桓公は闇主なり、と。
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『韓非子』難二第三十七或ひと曰く、桓公の優に応ずる所は、君人たる者の言に非ざるなり。桓公は君人を以て人を索むるに労すと為す、何ぞ人を索むるを労と為さんや。伊尹は自ら以て宰と為りて湯に干め、百里奚は自ら以て虜と為りて穆公に干む。虜は、辱むる所なり。宰は、羞づる所なり。羞辱を蒙りて君上に接するは、賢者の世を憂ふること急なればなり。然らば則ち君人たる者は賢に逆らふ無きのみ、賢を索むるは人主の難きと為さず。且つ官職は、賢に任ずる所以なり。爵禄は、功を賞する所以なり。官職を設け、爵禄を陳ぬれば、士自ら至る、君人たる者奚ぞ其れ労せん。人を使ふも又佚する所に非ざるなり。人主人を使ふと雖も、必ず度量を以て之を凖し、刑名を以て之を参す。事法に遇へば則ち行ひ、法に遇はざれば則ち止む。功其の言に当たれば則ち賞し、当たらざれば則ち誅す。刑名を以て臣を収め、度量を以て下を凖す、此れ釈つ可からざるなり、君人たる者焉んぞ佚せんや。