韓非子 / 外儲説右下第三十五
此亦聖人之所爲泣也。」一曰:延陵卓子乘蒼龍與翟文之乘,前則有錯飾,後則有利錣,進則引之,退則筴之。馬前不得進,後不得退,遂避而逸,因下抽刀而刎其脚。造父見之,泣,終日不食,因仰天而歎曰:「筴,所以進之也,錯飾在前;引,所以退之也,利錣在後。今人主以其清潔也進之,以其不適左右也退之;以其公正也譽之,以其不聽從也廢之。民懼,中立而不知所由,此聖人之所爲泣也。」
新字:此亦聖人之所為泣也。」一曰:延陵卓子乗蒼竜与翟文之乗,前則有錯飾,後則有利錣,進則引之,退則筴之。馬前不得進,後不得退,遂避而逸,因下抽刀而刎其脚。造父見之,泣,終日不食,因仰天而嘆曰:「筴,所以進之也,錯飾在前;引,所以退之也,利錣在後。今人主以其清潔也進之,以其不適左右也退之;以其公正也誉之,以其不聴従也廃之。民懼,中立而不知所由,此聖人之所為泣也。」
書き下し
此れ亦聖人の為に泣く所なり」と。一に曰く、延陵卓子蒼龍と翟文との乗に乗る、前には則ち錯飾有り、後には則ち利錣有り、進めば則ち之を引き、退けば則ち之を筴うつ。馬前に進むを得ず、後に退くを得ず、遂に避けて逸す、因りて下りて刀を抽きて其の脚を刎ぬ。造父之を見て、泣き、終日食はず、因りて天を仰ぎて歎じて曰く、「筴は、之を進むる所以なるに、錯飾前に在り。引は、之を退くる所以なるに、利錣後に在り。今人主其の清潔を以て之を進め、其の左右に適はざるを以て之を退く。其の公正を以て之を誉め、其の聴従せざるを以て之を廃す。民懼れ、中立して由る所を知らず、此れ聖人の為に泣く所なり」と。
現代語訳
(造父の言葉の結び)「これこそ聖人が涙を流すところである」。別の伝えではこうである。延陵卓子が、青毛の名馬と雉の羽模様の飾りをつけた車に乗っていた。前には金属の飾りがあり、後ろには鋭い突き棒があって、馬が進めば手綱で引き戻し、退けば鞭で打った。馬は前にも進めず、後ろにも退けず、ついに脇へそれて逃げ出した。そこで延陵卓子は車を降り、刀を抜いて馬の脚を切った。造父はこれを見て涙を流し、一日中食事もとらず、天を仰いで嘆いて言った。「鞭は馬を進めるためのものなのに、前に飾りがあって進ませない。手綱は馬を退かせるためのものなのに、後ろに鋭い突き棒がある。いま君主は、清廉だからといって人を登用しながら、側近の意に沿わないからといって退ける。公正だからといって誉めながら、言うことを聞かないからといって罷免する。民は恐れ、中途で立ちすくんで何に従えばよいか分からない。これこそ聖人が涙を流すところである」。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲説右下第三十五一。賞罰共にすれば則ち禁令行はれず。何を以て之を明らかにする。之を明らかにするに造父・於期を以てす。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。