墨子 / 明鬼下
故昔者殷王紂貴為天子,富有天下,有勇力之人費中、惡来,崇侯虎,指寡殺人。人民之衆兆億,侯盈厥澤陵。然不能以此圉鬼神之誅。此吾所謂鬼神之罰,不可為富貴衆强、力勇强武、堅甲利兵者,此也。且《禽艾》之道之曰:「得璣無小,滅宗無大。」則此言鬼神之所賞,無小必賞之;鬼神之所罰,無大必罰之。
新字:故昔者殷王紂貴為天子,富有天下,有勇力之人費中、悪来,崇侯虎,指寡殺人。人民之衆兆億,侯盈厥沢陵。然不能以此圉鬼神之誅。此吾所謂鬼神之罰,不可為富貴衆强、力勇强武、堅甲利兵者,此也。且《禽艾》之道之曰:「得璣無小,滅宗無大。」則此言鬼神之所賞,無小必賞之;鬼神之所罰,無大必罰之。
書き下し
故に昔者、殷王紂、貴きこと天子と為り、富は天下を有ち、勇力の人、費中・惡来・崇侯虎有りて、指寡して人を殺す。人民の衆きこと兆億、侯として厥の澤陵に盈つ。然れども此を以て鬼神の誅を圉ぐ能わず。此れ吾が謂う所の鬼神の罰は、富貴衆强・力勇强武・堅甲利兵と為す可からずとは、此れなり。且つ禽艾の之を道いて曰く、「璣を得ること小なる無く、宗を滅ぼすこと大なる無し」と。則ち此れ鬼神の賞する所は、小なる無く必ず之を賞し、鬼神の罰する所は、大なる無く必ず之を罰するを言うなり。
現代語訳
むかし殷王紂は天子として貴く天下を持つほど富み、勇力のある費中・悪来・崇侯虎を抱え、指さすだけで人を殺したという。人民の数は億を数え、諸侯は沢や丘に満ちた。それでもこれによって鬼神の誅罰を防げなかった。これが私のいう、鬼神の罰は富貴や大勢や強さや武具では防げない、ということである。そのうえ『禽艾』はこう語る。「小さな善を得たからといって賞さないことはなく、大きな悪だからといって宗族を滅ぼさないことはない」。これは、鬼神が賞するときは小さくても必ず賞し、鬼神が罰するときは大きくても必ず罰する、ということを言っている。
解説
「得璣無小、滅宗無大」——小さいから見逃すこともなく、大きいから手加減することもない。賞罰が規模によって変わらないという原則です。非攻篇で問題にされた「小さければ罰し、大きければ称賛する」という反転の、まさに逆を宣言しています。賞罰の一貫性を、規模に対する不変性として定義した一句です。
この章句が説くこと
一貫性規模不変賞罰原則公平
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