韓非子 / 解老第二十
人無毛羽,不衣則不犯寒;上不屬天而下不著地,以腸胃爲根本,不食則不能活。是以不免於欲利之心。欲利之心不除,其身之憂也。故聖人衣足以犯寒,食足以充虚,則不憂矣。衆人則不然,大爲諸侯,小餘千金之資,其欲得之憂不除也。胥靡有免,死罪時活,今不知足者之憂終身不解。故曰:
新字:人無毛羽,不衣則不犯寒;上不属天而下不著地,以腸胃為根本,不食則不能活。是以不免於欲利之心。欲利之心不除,其身之憂也。故聖人衣足以犯寒,食足以充虚,則不憂矣。衆人則不然,大為諸侯,小余千金之資,其欲得之憂不除也。胥靡有免,死罪時活,今不知足者之憂終身不解。故曰:
書き下し
人は毛羽無く、衣ざれば則ち寒を犯さず。上は天に属せず下は地に著かず、腸胃を以て根本と為し、食はざれば則ち活くること能はず。是を以て利を欲するの心を免れず。利を欲するの心除かれざるは、其の身の憂ひなり。故に聖人は衣は以て寒を犯すに足り、食は以て虚を充たすに足れば、則ち憂へず。衆人は則ち然らず。大は諸侯と為り、小は千金の資を余すも、其の得んと欲するの憂ひ除かれず。胥靡も免るること有り、死罪も時に活く。今足ることを知らざる者の憂ひは終身解けず。故に曰く、
現代語訳
人には毛や羽がないので、衣服を着なければ寒さをしのげない。上は天につながらず、下は地に根を下ろしておらず、腸や胃を根本としているので、食べなければ生きられない。だから利を欲する心を免れない。利を欲する心が取り除かれないことは、その身の憂いである。だから聖人は、衣服は寒さをしのぐに足り、食事は空腹を満たすに足りれば、それで憂えない。多くの人はそうではない。大きくは諸侯となり、小さくは千金の財を余らせていても、さらに得ようとする憂いが取り除かれない。刑を受けて労役に服す者でも許されることがあり、死罪の者でも時には生かされる。ところが足ることを知らない者の憂いは、一生解けることがない。だから(『老子』に)こう言うのである。
解説
『老子』第四十六章「禍は足るを知らざるより大なるは莫し」の注釈の前半です。人には毛も羽もなく、植物のように地に根を張ってもいないので、衣食を求める欲は避けられないと韓非は認めます。欲そのものを否定するのではなく、聖人は寒さをしのぎ空腹を満たせば十分とするのに対し、多くの人は諸侯になっても千金を持っても満足しない点を問題にするのです。そして、罪人でさえ赦されることがあるのに、足ることを知らない者の憂いは一生解けないと言います。売上や地位の目標を上げ続けること自体が、終わらない不安の源になっていないか、自分の「足る」の基準を考えさせられる一節です。
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『韓非子』解老第二十禍は足るを知らざるより大なるは莫し。
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『韓非子』解老第二十有道の君は、外は怨讎を隣敵に無くして、内は徳沢を人民に有す。夫れ外に怨讎を隣敵に無き者は、其の諸侯に遇ふや外に礼義有り。内に徳沢を人民に有する者は、其の人事を治むるや本を務む。諸侯に遇ふに礼義有れば、則ち役希に起こる。民事を治むるに本を務むれば、則ち淫奢止む。凡そ馬の大いに用ゐらるる所以の者は、外は甲兵に供し、内は淫奢に給するなり。今有道の君は、外は希に甲兵を用ゐて、内は淫奢を禁ず。上は馬を戦闘逐北に事とせずして、民は馬を以て遠く淫らに物を通ぜず。力を積むは唯田疇なり。力を田疇に積めば、必ず且に糞灌せんとす。故に曰く、「天下に道有れば、走馬を却けて以て糞す」と。人君道無ければ、則ち内は其の民を暴虐して、外は其の隣国を侵欺す。内暴虐すれば則ち民の産絶え、外侵欺すれば則ち兵数々起こる。民の産絶ゆれば則ち畜生少なく、兵数々起これば則ち士卒尽く。畜生少なければ則ち戎馬乏しく、士卒尽くれば則ち軍危殆なり。戎馬乏しければ則ち牸馬出で、軍危殆なれば則ち近臣役せらる。馬は、軍の大用なり。郊は、其の近きを言ふなり。今軍に給するの具を牸馬近臣に於てする所以なり。故に曰く、「天下に道無ければ、戎馬郊に生ず」と。人欲有れば則ち計会乱る。計会乱れて欲有ること甚だし。欲有ること甚だしければ則ち邪心勝つ。邪心勝てば則ち事経絶ゆ。事経絶ゆれば則ち禍難生ず。是に由りて之を観れば、禍難は邪心に生じ、邪心は可欲に誘はる。可欲の類は、進みては良民をして姦を為さしめ、退きては善人をして禍有らしむ。姦起これば則ち上は弱君を侵し、禍至れば則ち民人多く傷つく。然らば則ち可欲の類は、上は弱君を侵して下は人民を傷つく。夫れ上は弱君を侵して下は人民を傷つくる者は、大罪なり。故に曰く、「禍は欲すべきより大なるは莫し」と。是を以て聖人は五色に引かれず、声楽に淫せず、明君は玩好を賤しみて淫麗を去る。
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『韓非子』解老第二十故に利を欲すること憂ひよりも甚だし。憂ふれば則ち疾生ず。疾生じて智慧衰ふ。智慧衰ふれば、則ち度量を失ふ。度量を失へば、則ち妄りに挙動す。妄りに挙動すれば、則ち禍害至る。禍害至りて疾内に嬰る。疾内に嬰れば、則ち痛禍外に薄る。痛禍外に薄れば、則ち苦痛腸胃の間に雑はる。苦痛腸胃の間に雑はれば、則ち人を傷つくるや憯し。憯なれば則ち退きて自ら咎む。退きて自ら咎むるは利を欲するに生ず。故に曰く、「咎は利を欲するより憯しきは莫し」と。道は、万物の然る所なり、万理の稽まる所なり。理は、物を成すの文なり。道は、万物の成る所以なり。故に曰く、道は、之を理むる者なりと。物に理有りて、以て相薄るべからず。物に理有りて以て相薄るべからず、故に理は之れ物の制たり。万物各々理を異にして、道は尽く万物の理を稽む。故に化せざるを得ず。化せざるを得ず、故に常操無し。常操無し、是を以て死生気禀け、万智斟酌し、万事廃興す。天は之を得て以て高く、地は之を得て以て蔵し、維斗は之を得て以て其の威を成し、日月は之を得て以て其の光を恒にし、五常は之を得て以て其の位を常にし、列星は之を得て以て其の行を端しくし、四時は之を得て以て其の変気を御し、軒轅は之を得て以て四方を擅にし、赤松は之を得て天地と統べ、聖人は之を得て以て文章を成す。道は、堯・舜と倶に智に、接輿と倶に狂に、桀・紂と倶に滅び、湯・武と倶に昌ゆ。以て近しと為すか、四極に遊ぶ。以て遠しと為すか、常に吾が側に在り。以て暗しと為すか、其の光昭昭たり。以て明らかなりと為すか、其の物冥冥たり。而して功は天地を成し、和は雷霆を化し、宇内の物、之を恃みて以て成る。凡そ道の情は、制せず形せず、柔弱にして時に随ひ、理と相応ず。万物之を得て以て死し、之を得て以て生く。万事之を得て以て敗れ、之を得て以て成る。
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『韓非子』喻老第二十一故に曰く、「罪は欲す可きより大なるは莫し」と。智伯は范・中行を兼ねて趙を攻めて已まず、韓・魏之に反し、軍晉陽に敗れ、身は高梁の東に死し、遂に卒(つい)に分かたれ、其の首に漆して以て溲器(しゅうき)と爲さる。故に曰く、「禍は足るを知らざるより大なるは莫し」と。虞君は屈産の乘と垂棘の璧とを欲し、宫之奇に聽かず、故に邦亡び身死せり。故に曰く、「咎は得んと欲するより憯(いた)ましきは莫し」と。
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『韓非子』解老第二十邪僻を行へば、則ち身死夭す。理を棄てて動けば、則ち成功無し。夫れ内に死夭の難有りて外に成功の名無き者は、大禍なり。而して禍は本福有るに生ず。故に曰く、「福は禍の伏す所」と。夫れ道理に縁りて以て事に従ふ者は、成すこと能はざる無し。成すこと能はざる無き者は、大は能く天子の勢尊を成し、小は易く卿相将軍の賞禄を得。夫れ道理を棄てて妄りに挙動する者は、上に天子諸侯の勢尊有り、下に猗頓・陶朱・卜祝の富有りと雖も、猶其の民人を失ひて其の財資を亡ふ。衆人の軽んじて道理を棄てて易く妄りに挙動する者は、其の禍福の深大にして道の闊遠なること是くの若きを知らざるなり。故に人に諭して曰く、「孰か其の極を知らん」と。人は富貴全寿を欲せざるは莫し。而も未だ能く貧賤死夭の禍を免るること有らざるなり。心は富貴全寿を欲して、今貧賤死夭なり。是れ其の至らんと欲する所に至ること能はざるなり。凡そ其の欲する所の路を失ひて妄りに行く者、之を迷と謂ふ。迷へば則ち其の至らんと欲する所に至ること能はず。今衆人の其の至らんと欲する所に至ること能はず、故に「迷」と曰ふ。衆人の其の至らんと欲する所に至ること能はざるや、天地の剖判より以て今に至る。
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『韓非子』喻老第二十一邦は存するを以て常と為し、霸王は其れ可なり。身は生くるを以て常と為し、富貴は其れ可なり。欲を以て自ら害せざれば、則ち邦亡びず、身死せず。故に曰く、「足るを知るの足るを為す」と。楚の荘王既に勝ち、河雍に狩し、帰りて孫叔敖を賞す。孫叔敖、漢間の地、沙石の処を請ふ。楚邦の法、禄臣は再世にして地を収む。唯だ孫叔敖のみ独り在り。此れ其の邦を以て収むることを為さざるは、瘠なればなり。故に九世にして祀絶えず。