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韓非子 / 飾邪第十九

故鏡埶清而無事,美惡從而比焉;衡埶正而無事,輕重從而載焉。夫揺鏡則不得爲明,揺衡則不得爲正,法之謂也。故先王以道爲常,以法爲本。本治者名尊,本亂者名絶。凡智能明通,有以則行,無以則止。故智能單道,不可傳於人。而道法萬全,智能多失。夫懸衡而知平,設規而知圓,萬全之道也。明主使民飾於道之故,故佚而有功。釋規而任巧,釋法而任智,惑亂之道也。亂主使民飾於智,不知道之故,故勞而無功。釋法禁而聽請謁,羣臣賣官於上,取賞於下,是以利在私家而威在羣臣。故民無盡力事主之心,而務爲交於上。民好上交,則貨財上流而巧說者用。若是,則有功者愈少。姦臣愈進而材臣退,則主惑而不知所行,民聚而不知所道。此廢法禁、後功勞、舉名譽、聽請謁之失也。凡敗法之人,必設詐託物以來親,又好言天下之所希有,此暴君亂主之所以惑也,人臣賢佐之所以侵也。故人臣稱伊尹、管仲之功,則背法飾智有資;稱比干、子胥之忠而見殺,則疾强諫有辭。夫上稱賢明,下稱暴亂,不可以取類,若是者禁。君之立法,以爲是也,今人臣多立其私智以法爲非者,是邪以智,過法立智。如是者禁,主之道也。

新字:故鏡埶清而無事,美悪従而比焉;衡埶正而無事,軽重従而載焉。夫揺鏡則不得為明,揺衡則不得為正,法之謂也。故先王以道為常,以法為本。本治者名尊,本乱者名絶。凡智能明通,有以則行,無以則止。故智能単道,不可伝於人。而道法万全,智能多失。夫懸衡而知平,設規而知円,万全之道也。明主使民飾於道之故,故佚而有功。釈規而任巧,釈法而任智,惑乱之道也。乱主使民飾於智,不知道之故,故労而無功。釈法禁而聴請謁,羣臣売官於上,取賞於下,是以利在私家而威在羣臣。故民無尽力事主之心,而務為交於上。民好上交,則貨財上流而巧説者用。若是,則有功者愈少。姦臣愈進而材臣退,則主惑而不知所行,民聚而不知所道。此廃法禁、後功労、舉名誉、聴請謁之失也。凡敗法之人,必設詐託物以来親,又好言天下之所希有,此暴君乱主之所以惑也,人臣賢佐之所以侵也。故人臣称伊尹、管仲之功,則背法飾智有資;称比干、子胥之忠而見殺,則疾強諫有辞。夫上称賢明,下称暴乱,不可以取類,若是者禁。君之立法,以為是也,今人臣多立其私智以法為非者,是邪以智,過法立智。如是者禁,主之道也。

書き下し

故に鏡は清を埶りて事無く、美悪従ひて比す。衡は正を埶りて事無く、軽重従ひて載す。夫れ鏡を揺らせば則ち明為ることを得ず、衡を揺らせば則ち正為ることを得ず。法の謂ひなり。故に先王は道を以て常と為し、法を以て本と為す。本治まる者は名尊く、本乱るる者は名絶ゆ。凡そ智能明通は、以有れば則ち行ひ、以無ければ則ち止む。故に智能は道を単し、人に伝ふべからず。而して道法は万全にして、智能は失多し。夫れ衡を懸けて平を知り、規を設けて円を知るは、万全の道なり。明主は民をして道の故に飾らしむ。故に佚して功有り。規を釈てて巧に任じ、法を釈てて智に任ずるは、惑乱の道なり。乱主は民をして智に飾らしめ、道の故を知らず。故に労して功無し。法禁を釈てて請謁を聴けば、群臣官を上に売り、賞を下に取る。是を以て利は私家に在りて威は群臣に在り。故に民に力を尽くして主に事ふるの心無くして、上に交はることを務む。民上交を好めば、則ち貨財上に流れて巧説の者用ゐらる。是くの若くなれば、則ち功有る者愈々少なし。姦臣愈々進みて材臣退けば、則ち主惑ひて行ふ所を知らず、民聚まりて道ふ所を知らず。此れ法禁を廃し、功労を後にし、名誉を挙げ、請謁を聴くの失なり。凡そ法を敗るの人は、必ず詐りを設け物に託して以て来たり親しみ、又好んで天下の希に有る所を言ふ。此れ暴君乱主の惑はさるる所以にして、人臣賢佐の侵さるる所以なり。故に人臣伊尹・管仲の功を称すれば、則ち法に背き智を飾ること資有り。比干・子胥の忠にして殺さるるを称すれば、則ち強諫を疾むこと辞有り。夫れ上は賢明を称し、下は暴乱を称するは、以て類を取るべからず。是くの若き者は禁ず。君の法を立つるは、以て是と為せばなり。今人臣多く其の私智を立てて法を以て非と為す者は、是れ智を以て邪にし、法を過ぎて智を立つるなり。是くの如き者を禁ずるは、主の道なり。

現代語訳

だから鏡は清らかさを保って何もしなくても、美しいものも醜いものもそれに従って映し比べられる。はかりは正しさを保って何もしなくても、重いものも軽いものもそれに従って量られる。鏡を揺らせば明らかに映すことはできず、はかりを揺らせば正しく量ることはできない。これは法のことを言っているのである。だから先王は道を不変の基準とし、法を根本とした。根本が治まる者は名が尊く、根本が乱れる者は名が絶える。およそ知恵や才能、明察や通達は、拠り所があれば行えるが、拠り所がなければ止まってしまう。だから知恵や才能は、ただ一人の道にとどまり、人に伝えることができない。しかし道と法は万全であり、知恵や才能は失敗が多い。はかりを吊るして水平を知り、コンパスを据えて円を知るのは、万全の道である。明君は民に道の理によって身を整えさせる。だから楽をしながら功績がある。コンパスを捨てて手先の巧みさに任せ、法を捨てて知恵に任せるのは、惑い乱れる道である。乱れた君主は民に知恵によって身を飾らせ、道の理を知らない。だから苦労しても功績がない。法と禁令を捨てて私的な頼み事を聞き入れれば、群臣は上に対して官職を売り、下から見返りの賞を取る。そのため利益は私家にあり、威勢は群臣の手にある。だから民には力を尽くして君主に仕える心がなく、上の者と交わることに努める。民が上の者との交わりを好めば、財貨は上に流れ、口のうまい者が用いられる。こうなれば、功績のある者はますます少なくなる。姦臣がますます進み、有能な臣が退けば、君主は惑って何をすべきか分からず、民は集まってもどの道を行くべきか分からない。これは法と禁令を廃し、功労を後回しにし、名声で人を取り立て、私的な頼み事を聞く失敗である。およそ法を破る人は、必ず偽りを設け、物事にかこつけて近づいてきて親しみ、また好んで天下に珍しい話をする。これが暴君や乱れた君主が惑わされる理由であり、賢い臣や補佐役が退けられる理由である。だから臣下が伊尹や管仲の功績を称えれば、それは法に背いて知恵を飾る口実となる。比干や伍子胥が忠義を尽くして殺されたことを称えれば、それは激しく諫めることを正当化する口実となる。そもそも上は賢明な君主を称え、下は暴虐な君主を称えるというのでは、それを手本として類推することはできない。このような者は禁じる。君主が法を立てるのは、それが正しいとするからである。いま臣下の多くが自分の私的な知恵を立てて法を誤りとするのは、知恵によって邪をなし、法を越えて知恵を立てるものである。このような者を禁じるのが、君主の道である。

解説

「飾邪」篇の中心となる長い一節で、鏡と天秤のたとえで法の本質を語ります。鏡は清らかでありさえすれば美醜を映し、天秤は正しくありさえすれば軽重を量る。揺らせば役に立たないように、法も揺らいではならないと韓非は言います。そして個人の知恵や才能は、その人限りで人に伝えられず失敗も多いが、法は誰がやっても同じ結果を出せる万全の道だと説きます。後半では、伊尹や管仲、比干や伍子胥といった歴史上の人物を持ち出して法を曲げようとする臣下を戒めます。属人的な才覚より再現性のある仕組みを重んじるという考えは、現代の業務標準化にもそのまま通じます。

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