格言聯璧 / 惠吉類・流水を以て弦歌を聽く
以流水聽弦歌,則性靈何害?
新字:以流水聴弦歌,則性霊何害?
書き下し
流水を以て弦歌を聽けば、則ち性靈何ぞ害せられん。
現代語訳
弦楽器の音や歌声を、流れる水の音を聞くように聞けば、心の霊妙な働きがどうして損なわれるでしょうか。
解説
前の単位の「以鮮花視美色、則孽障自消」と対になる、この単位だけの短い一句です。前の句が目の誘惑を扱ったのに対し、こちらは耳の誘惑を扱っています。弦歌は琴などの弦楽器の演奏と歌で、ここでは宴席の歌舞のような、人を惑わしうる音楽を指しています。それを流水の音のように、執着なく聞き流せば、性霊、つまり心の生き生きとした本性は損なわれないと言います。美しいものを禁じるのではなく、受け取り方を変えよという教えで、禁欲一辺倒ではない柔らかさがあります。楽しみそのものを断つのではなく、とらわれない聞き方、見方を身につけることは、今の私たちの娯楽との付き合い方にも通じるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
風雅節制無執着清心修身
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