格言聯璧 / 惠吉類・閑を得れば便ち是れ主人
窮不可遣,而窮愁可遣,春生安樂窩中。 富貴貧賤,總難稱意,知足即為稱意。 山水花竹,無恒主人,得閑便是主人。 要足何時足,知足便足。
新字:窮不可遣,而窮愁可遣,春生安楽窩中。 富貴貧賤,総難称意,知足即為称意。 山水花竹,無恒主人,得閑便是主人。 要足何時足,知足便足。
書き下し
窮は遣るべからず、而れども窮愁は遣るべし、春は安樂窩中に生ず。 富貴貧賤は、總て意に稱ひ難し、足るを知れば即ち意に稱ふと為す。 山水花竹は、恒の主人無し、閑を得れば便ち是れ主人なり。 足るを要めば何れの時か足らん、足るを知れば便ち足る。
現代語訳
貧しさは追い払えませんが、貧しさの憂いは追い払うことができます。春は安楽な住まいの中に生まれるのです。 富貴であれ貧賤であれ、すべて思いどおりにはなりにくいものです。足ることを知れば、それが思いどおりということです。 山や水や花や竹には、決まった持ち主はいません。暇を得てそれを楽しむ者が、そのまま主人なのです。 満ち足りることを求めていたら、いつ満ち足りるでしょうか。足ることを知れば、すぐに満ち足ります。
解説
一行目は前の単位の「熱不可除」と対になり、貧しさという事実は変えられなくても、それを憂える心は変えられると言います。夏の清涼台と対に、春の安楽窩を置いた季節の取り合わせも美しいところです。二行目は、富貴も貧賤も思いどおりにはならないと認めたうえで、知足こそが意にかなうことだと説きます。三行目は、景色の持ち主は所有者ではなく、それを楽しむ閑のある人だと言います。蘇軾の小品にも、江山風月には本来決まった主はなく、閑のある者こそ主人だという言葉があります。四行目は次の単位の「求閑不得閑」と対になります。持っていないものではなく、味わえるものに目を向けると、満足は意外と近くにあります。
この章句が説くこと
知足閑適自然清貧処世
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