格言聯璧 / 從政類・疑案は寬に從ふ
無辜牽累難堪,非緊要,只須兩造對質,保全多少身家。 疑案轉移甚大,無確據,便當末減從寬,休養幾人性命。 呆子之患,深於浪子,以其終無轉智。
新字:無辜牽累難堪,非緊要,只須両造対質,保全多少身家。 疑案転移甚大,無確拠,便当末減従寛,休養幾人性命。 呆子之患,深於浪子,以其終無転智。
書き下し
無辜の牽累は堪へ難し、緊要に非ざれば、只だ須らく兩造對質せしむべし、多少の身家を保全せん。 疑案は轉移甚だ大なり、確據無ければ、便ち當に末減して寬に從ふべし、幾人の性命を休養せん。 呆子の患は、浪子より深し、其の終に轉智無きを以てなり。
現代語訳
罪のない人が巻き添えになるのは耐えがたいことです。大事でなければ、ただ原告と被告の二者を対質させればよく、それでどれほど多くの人の身と家を守れることでしょう。 疑わしい事件は、判断ひとつで大きく結果が変わります。確かな証拠がなければ、刑を軽くして寛大な方に従うべきで、それで何人もの命を救うことができます。 愚か者の害は放蕩者よりも深いものです。最後まで知恵を切り替えることがないからです。
解説
前の二行は裁判の心得を対にした句です。関係のない人まで呼び出して調べれば、罪のない人が巻き添えになるので、当事者の二者だけで対質させよと言います。兩造は原告と被告のことです。また証拠の確かでない事件は軽い方に処せよと説き、疑わしきは罰せずに近い考えが見えます。三行目は次の単位の「昏官之害」と対になり、呆子すなわち頑迷な愚か者は、放蕩者と違って悔い改めて考えを変えることがないので、かえって害が深いと述べます。調べや処分の範囲を必要以上に広げていないか、自分の判断を改める柔らかさを保てているか、二つの点で今にも通じる教えです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
治政寛容裁判慎重公正
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