格言聯璧 / 齊家類・家を治むること嚴なれば家乃ち和す
子孫得罪於人者尚可恕,得罪於天者不可恕。 奴之不祥,莫大於傳主人之謗語。主之不祥,莫大於行仆婢之譖言。 治家嚴,家乃和。居鄉恕,鄉乃睦。 治家忌寬,而尤忌嚴。
新字:子孫得罪於人者尚可恕,得罪於天者不可恕。 奴之不祥,莫大於伝主人之謗語。主之不祥,莫大於行仆婢之譖言。 治家厳,家乃和。居郷恕,郷乃睦。 治家忌寛,而尤忌厳。
書き下し
子孫の人に罪を得る者は尚ほ恕すべし、天に罪を得る者は恕すべからず。 奴の不祥は、主人の謗語を傳ふるより大なるは莫し。主の不祥は、仆婢の譖言を行ふより大なるは莫し。 家を治むること嚴なれば、家乃ち和す。鄉に居ること恕なれば、鄉乃ち睦まじ。 家を治むるは寬を忌む、而して尤も嚴を忌む。
現代語訳
子孫が人に対して罪を犯したのならまだ許せますが、天に対して罪を犯したのなら許してはなりません。 召使いの不吉として、主人の悪口を言いふらすことより大きなものはありません。主人の不吉として、召使いの告げ口を真に受けて動くことより大きなものはありません。 家を治めるのに厳しくすれば、家はかえって和やかになります。郷里で暮らすのに思いやりをもてば、郷里は仲むつまじくなります。 家を治めるには寛大すぎることを避けますが、それ以上に厳しすぎることを避けなければなりません。
解説
前の単位の奴仆の句と対になり、奴仆は我への罪と人への罪、子孫は人への罪と天への罪で線を引きます。人への過ちは償えても、天理にそむく罪は許されないという、段階を踏んだ基準です。次の対句は、主従の双方にとっての不祥を並べ、悪口を運ぶ召使いと、告げ口を信じる主人を同じ重さで戒めます。続く句は、けじめがあってこそ家に和が生まれ、思いやりがあってこそ郷里が睦むと説きます。ところが最後の句は、寬を忌み、さらに嚴を忌むと言い、厳しさも度を越すなと釘を刺します。次の単位の奢と嗇の句と同じく、両端を避ける中庸の考えで、組織の規律と温かさの加減に悩む人に示唆を与えます。
この章句が説くこと
斉家中庸寛恕家長讒言
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