格言聯璧 / 接物類・其の言を師として其の行ひを問はず
樂道己善,何如樂道人善。 聽其言,必觀其行,是取人之道。 師其言,不問其行,是取善之方。 論人之非,當原其心,不可徒泥其跡。 取人之善,當據其跡,不必深究其心。
新字:楽道己善,何如楽道人善。 聴其言,必観其行,是取人之道。 師其言,不問其行,是取善之方。 論人之非,当原其心,不可徒泥其跡。 取人之善,当拠其跡,不必深究其心。
書き下し
樂しみて己の善を道ふは、何ぞ樂しみて人の善を道ふに如かん。 其の言を聽きて、必ず其の行ひを觀る、是れ人を取るの道なり。 其の言を師として、其の行ひを問はず、是れ善を取るの方なり。 人の非を論ずるには、當に其の心を原ぬべし、徒らに其の跡に泥むべからず。 人の善を取るには、當に其の跡に據るべし、必ずしも深く其の心を究めず。
現代語訳
自分の善い所を好んで語るのは、人の善い所を好んで語ることにどうして及ぶでしょうか。 その人の言葉を聞いて、必ずその行いを見る。これが人を採る道です。 その人の言葉を手本として、その行いは問わない。これが善を取り入れる方法です。 人の過ちを論じるときは、その心の出どころを尋ねるべきで、表に出た行いだけにこだわってはいけません。 人の善を取り上げるときは、表に出た行いに基づけばよく、その心の奥まで深く詮索する必要はありません。
解説
人の見方について、場面ごとに物差しを使い分けることを説いた則です。二句目と三句目の対句は、人を採用するときは言葉だけでなく行いを見よ、しかし善い言葉を学ぶときは行いを問わずに言葉そのものを師とせよと言います。前半は論語公冶長篇の、その言を聴きてその行いを観るを踏まえたものです。四句目と五句目の対句は、過ちを論じるときは心を尋ねて情状をくみ、善を取るときは行いだけを見て動機を詮索するなと説きます。責めるときは寛く、褒めるときは素直にという、人に対する温かい態度が一貫しています。人の良い発言を、その人の欠点を理由に退けていないか、ふと振り返らせてくれる一則です。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
人物観接物寛容学問謙虚
関連する章句
-
『幽夢影』巻上・下の下なり人は聖賢に非ず、安んぞ能く知らざる所無からん。祇だ其の一を知り、惟だ其の一に止まらざるを恐れ、復た其の二を知らんことを求むる者は、上なり。止だ其の一を知り、人の言ふに因りて、始めて其の二有るを知る者は、次なり。止だ其の一を知り、人其の二有りと言ふも之を信ずる莫き者は、又其の次なり。止だ其の一を知り、人の其の二有りと言ふを惡む者は、斯れ下の下なり。
-
『慎思録』巻之六博聞広覧にして見識有り、且つ久しく世変を経歴する者は、以て古今を是非すべく、過ち寡きに庶からん。苟も見聞寡陋にして、世を渉ることも亦浅くして見識無き者は、未だ以て天下古今の善悪を議すべからざるなり。仲虺の誥に曰く、問ふことを好めば則ち裕かに、自ら用ゐれば則ち小なりと。蓋し器小なれば則ち自足と為して、人に資ることを好まず。大凡古人の説は、固より資るべし。今人の言と雖も、其の善き者は廃すべからず。須らく択びて之を取るべし。舜の大聖すら、猶ほ善を人に資る。況んや今の衆人、豈に専ら自ら用ゐて、人に資らざるべけんや。蓋し博学の方は、古人の言に資るに止まらず、今人の言と雖も亦取るべし。是れ古今に通ずる所以なり。
-
孟子・盡心章句上公都子曰く、「滕更の門に在るや、礼する所に在るが若くして、答へざるは、何ぞや。」孟子曰く、「貴を挟みて問ひ、賢を挟みて問ひ、長を挟みて問ひ、勲労有るを挟みて問ひ、故を挟みて問ふは、皆答へざる所なり。滕更は二有り。」
-
『囲炉夜話』第二百一則・渾金璞玉の如し才有らば必ず韜藏す、渾金璞玉の如く、闇然として日に章かなり。 學を為すに間斷無し、流水行雲の如く、日に進みて已まざるなり。
-
『養生訓』巻第七・用薬一右薬一服の分量の大小、用水の多少を定むる事、予医生に非ずして、好事の誚、僭率の罪のがれ難しといへども、今時、本邦の人の禀賦をはかるに、恐らくはかくの如くにして宜しかるべし。願くは、有識の人、博く古今を考へ、日本の人の生れつきに応じ、時宜にかなひて、過不及の差なく、軽重大小を定め給ふべし。
-
『幽夢影』巻上・紙上に兵を談ず文人の武事を講ずるは、大都紙上に兵を談ずるなり。武將の文章を論ずるは、半ば道聽途説に屬す。