格言聯璧 / 處事類・小事に應ずるに大事の心を以てす
當平常之日,應小事宜以應大事之心應之。 蓋天理無小,即目前觀之,便有一個邪正,不可忽慢苟簡,須審理之邪正以應之方可。 及變故之來,處大事宜以處小事之心處之。
新字:当平常之日,応小事宜以応大事之心応之。 蓋天理無小,即目前観之,便有一個邪正,不可忽慢苟簡,須審理之邪正以応之方可。 及変故之来,処大事宜以処小事之心処之。
書き下し
平常の日に當りて、小事に應ずるには宜しく大事に應ずるの心を以て之に應ずべし。 蓋し天理に小無し、即ち目前より之を觀るも、便ち一個の邪正有り、忽慢苟簡なるべからず、須らく理の邪正を審らかにして以て之に應じて方に可なるべし。 變故の來るに及びては、大事に處するには宜しく小事に處するの心を以て之に處すべし。
現代語訳
ふだんの日には、小さな事に応じるときも、大きな事に応じる心で応じるべきです。 そもそも天の道理に小さいものはなく、目の前の事から見ても、そこには必ず正と邪があります。軽んじたりいい加減に済ませたりしてはならず、道理の正邪をよく見極めて応じてこそよいのです。 変事が起きたときには、大きな事に処するにも、小さな事に処する心で処するべきです。
解説
前の則の「平時は有事のように、有事は平時のように」を、事の大小に置き換えて言い直した則です。平時の小事には大事の心で、変事の大事には小事の心で臨めと対にしています。その理由として、次の単位にかけて、天理には小さいものがなく目前の小事にも正邪がある、人事がどれほど大きくても天理から見れば是非は一つしかない、と述べます。天理は朱子学でいう、物事に備わる正しい筋道のことです。小事を侮らないことと、大事に呑まれないことは、同じ一つの心の働きだと分かります。日々の小さな仕事を丁寧に扱う人ほど、非常時に落ち着いていられるのは、この理屈によるのでしょう。
この章句が説くこと
処事天理平常心慎重修養
関連する章句
-
『墨子』貴義子墨子曰く、今、士の身を用うるは、商人の一布を用うるの慎しみに若かざるなり。商人、一布を用うるに、敢えて茍くも繼ぎて讎らず、必ず良き者を擇ぶ。今、士の身を用うるは則ち然らず。意の欲する所は則ち之を為す。厚き者は刑罰に入り、薄き者は毁醜を被る。則ち士の身を用うるは、商人の一布を用うるの慎しみに若かざるなり。
-
『囲炉夜話』第六十八則・好事の人は必ず曉事の人に非ず古今の為す有るの士は、皆な輕がろしく為さざるの士なり。鄉黨の事を好むの人は、必ず事に曉るの人に非ず。
-
論語・為政篇子張禄を干(もと)むを学ぶ。子曰く、多く聞いて疑わしきを闕(か)き、其の余を慎言すれば、則ち尤(とがめ)寡なし。多く見て殆(あやう)きを闕き、其の余を慎行すれば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。
-
論語・述而篇子の慎む所は、斉・戦・疾なり。
-
『呻吟語』内篇・修身・再び一步を思へば更に好し事の心下に放ち得るに到るも、還た一たび慎むも何ぞ妨げん。言の來たりて口邊に向かふも、再び一步を思へば更に好し。
-
『酔古堂剣掃』集法・平地を履みて恐る君子は青天に對して懼れ、雷霆を聞きて驚かず。平地を履みて恐れ、風波を涉りて疑はず。