格言聯璧 / 處事類・事無きも事有るが如くす
處難處之事愈宜寬,處難處之人愈宜厚,處至急之事愈宜緩,處至大之事愈宜平,處疑難之際愈宜無意。 無事時,常照管此心,兢兢然若有事;有事時,卻放下此心,坦坦然若無事。 無事如有事,提防才可弭意外之變;有事如無事,鎮定方可消局中之危。
新字:処難処之事愈宜寛,処難処之人愈宜厚,処至急之事愈宜緩,処至大之事愈宜平,処疑難之際愈宜無意。 無事時,常照管此心,兢兢然若有事;有事時,却放下此心,坦坦然若無事。 無事如有事,提防才可弭意外之変;有事如無事,鎮定方可消局中之危。
書き下し
處し難きの事に處するには愈々宜しく寬なるべく、處し難きの人に處するには愈々宜しく厚かるべく、至急の事に處するには愈々宜しく緩なるべく、至大の事に處するには愈々宜しく平なるべく、疑難の際に處するには愈々宜しく意無かるべし。 事無き時は、常に此の心を照管し、兢兢然として事有るが若くす。事有る時は、卻つて此の心を放下し、坦坦然として事無きが若くす。 事無きも事有るが如くすれば、提防して才かに意外の變を弭むべし。事有るも事無きが如くすれば、鎮定して方に局中の危を消すべし。
現代語訳
扱いにくい事柄にあたるほど寛やかに、扱いにくい人にあたるほど手厚く、きわめて急な事にあたるほどゆったりと、きわめて大きな事にあたるほど平静に、疑わしく難しい場面にあたるほど私意を持たずにいるべきです。 何事もないときは、いつもこの心に気を配り、事があるかのように慎み深くしています。事があるときは、かえってこの心を解き放ち、何事もないかのように落ち着いています。 何事もないときに事があるように備えてこそ、思いがけない異変を防ぐことができます。事があるときに何事もないようにしてこそ、渦中の危機を消すことができます。
解説
処事類の冒頭で、事にあたる心の構えを説きます。第一句は、難しい事には寛、難しい人には厚、急な事には緩、大きな事には平、迷う場面では無意と、状況と逆向きの心で臨むことを五つ重ねます。慌てると人は状況に引きずられるので、あえて反対の構えを取れというのです。続く二句は平時と有事の心を対にし、平時には有事のように備え、有事には平時のように落ち着けと説きます。最後の二句がその理由で、備えは異変を防ぎ、落ち着きは危機を収めると結びます。平時の点検と非常時の冷静さは表裏一体です。忙しくないときにこそ備え、忙しいときにこそ深呼吸をする習慣は、今日からでも始められます。
この章句が説くこと
処事冷静備え平常心処世
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