格言聯璧 / 持躬類・善を爲すは無枝の樹に緣るが如し
為善如負重登山,志雖已確,而力猶恐不及。 為惡如乘駿走阪,鞭雖不加,而足不禁其前。 防欲如挽逆水之舟,才歇手,便下流。 為善如緣無枝之樹,才住腳,便下墜。
新字:為善如負重登山,志雖已確,而力猶恐不及。 為悪如乗駿走阪,鞭雖不加,而足不禁其前。 防欲如挽逆水之舟,才歇手,便下流。 為善如縁無枝之樹,才住脚,便下墜。
書き下し
善を爲すは重きを負ひて山に登るが如く、志已に確かなりと雖も、力は猶ほ及ばざるを恐る。 惡を爲すは駿に乘りて阪を走るが如く、鞭加へずと雖も、足は其の前むを禁ぜず。 欲を防ぐは逆水の舟を挽くが如く、才かに手を歇むれば、便ち下流す。 善を爲すは無枝の樹に緣るが如く、才かに腳を住むれば、便ち下墜す。
現代語訳
善を行うのは重い荷を背負って山に登るようなもので、志はすでに固まっていても、力はまだ及ばないのではないかと恐れます。 悪を行うのは駿馬に乗って坂を駆け下りるようなもので、鞭を当てなくても、足は前へ進むのを止められません。 欲を防ぐのは流れに逆らって舟を引くようなもので、少しでも手を休めれば、すぐに下流へ流されます。 善を行うのは枝のない木をよじ登るようなもので、少しでも足を止めれば、すぐに下へ落ちてしまいます。
解説
善と悪、欲と善の難しさを四つの比喩で描く聯です。善は重荷を負って山を登るように苦しく、悪は駿馬で坂を下るように勝手に進んでしまうという対比は、善行の難しさと悪習の手軽さを実感させます。後半は、欲を防ぐのは流れに逆らって舟を引くことに、善を行うのは枝のない木を登ることにたとえ、少しでも手や足を休めればたちまち後退すると言います。いずれも、努力を止めた瞬間に元に戻るという点で共通しています。良い習慣は続けてこそ保たれ、一度休むと一気に崩れるという経験は、誰にも覚えがあるでしょう。
この章句が説くこと
為善防欲持躬継続比喩
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