格言聯璧 / 持躬類・清眞冷淡の爲は久しきを歷て愈いよ意味有り
困辱非憂,取困辱為憂。 榮利非樂,忘榮利為樂。 熱鬧華榮之境,一過輒生淒涼。 清真冷淡之為,歷久愈有意味。 心志要苦,意趣要樂,氣度要宏,言動要謹。
新字:困辱非憂,取困辱為憂。 栄利非楽,忘栄利為楽。 熱鬧華栄之境,一過輒生淒涼。 清真冷淡之為,歴久愈有意味。 心志要苦,意趣要楽,気度要宏,言動要謹。
書き下し
困辱は憂ひに非ず、困辱を取るを憂ひと爲す。 榮利は樂しみに非ず、榮利を忘るるを樂しみと爲す。 熱鬧華榮の境は、一たび過ぐれば輒ち淒涼を生ず。 清眞冷淡の爲は、久しきを歷て愈いよ意味有り。 心志は苦しきを要し、意趣は樂しきを要し、氣度は宏きを要し、言動は謹むを要す。
現代語訳
困窮や辱めそのものは憂いではありません。自ら困窮や辱めを招くことこそが憂いです。 栄誉や利益そのものは楽しみではありません。栄誉や利益を忘れることこそが楽しみです。 にぎやかで華やかな場は、ひとたび過ぎ去ると、すぐにもの寂しさが生まれます。 清らかで飾り気なく淡々とした行いは、時を経るほどますます味わいが深くなります。 心と志は苦労を重ねるべきで、趣は楽しむべきで、気の持ちようは広くあるべきで、言葉と振る舞いは慎むべきです。
解説
困辱と栄利の受け止め方を転換する対句から始まる聯です。困辱そのものではなく、自分の過ちで招くことを憂え、栄利そのものではなく、それを忘れることを楽しみとせよと言います。中ほどの対句は、熱鬧華栄つまりにぎやかで華やかな場は過ぎれば寂しさが残り、清真冷淡な営みは時とともに味わいを増すと対比します。最後の句は、志は苦しく、趣は楽しく、気度は広く、言動は慎重にと、四つの面で心の持ち方の釣り合いを示します。宴の後の虚しさを知る人には、とくに響く言葉でしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
清淡栄利持躬閑適節度
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