格言聯璧 / 持躬類・人を責むるの心を以て己を責むれば則ち過ち寡し
以恕己之心恕人,則全交。 以責人之心責己,則寡過。 力有所不能,聖人不以無可奈何者責人。 心有所當盡,聖人不以無可奈何者自諉。
新字:以恕己之心恕人,則全交。 以責人之心責己,則寡過。 力有所不能,聖人不以無可奈何者責人。 心有所当尽,聖人不以無可奈何者自諉。
書き下し
己を恕するの心を以て人を恕すれば、則ち交はりを全うす。 人を責むるの心を以て己を責むれば、則ち過ち寡し。 力に能はざる所有れば、聖人は奈何ともすべき無き者を以て人を責めず。 心に當に盡すべき所有れば、聖人は奈何ともすべき無き者を以て自ら諉らず。
現代語訳
自分をゆるす心で人をゆるせば、交わりを全うできます。 人を責める心で自分を責めれば、過ちが少なくなります。 力の及ばないことがあるとき、聖人はどうしようもないことで人を責めません。 心として尽くすべきことがあるとき、聖人はどうしようもないことを言い訳にして自分の責任を逃れません。
解説
前半は北宋の范純仁が子弟に語ったと伝えられる言葉で、自分を許すときの甘さで人を許し、人を責めるときの厳しさで自分を責めよと教えます。人は自分に甘く他人に厳しいものなので、その物差しを入れ替えよというのです。後半の対句は、力の及ばない事情については人を責めず、心で尽くすべきことについては「どうしようもなかった」と自分に言い訳しない、という聖人の態度を示します。同じ「無可奈何」という事情を、人に向けるときは寛く、自分に向けるときは厳しく扱う。部下の失敗と自分の失敗を見比べるときの、良い基準になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
寛恕自責持躬交友言い訳
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