格言聯璧 / 持躬類・語言の間に盡く德を積むべし
慎言動於妻子仆隸之間,檢身心於食息起居之際。 語言間盡可積德,妻子間亦是修身。 晝驗之妻子,以觀其行之篤與否也。 夜考之夢寐,以卜其志之定與否也。
新字:慎言動於妻子仆隸之間,検身心於食息起居之際。 語言間尽可積徳,妻子間亦是修身。 昼験之妻子,以観其行之篤与否也。 夜考之夢寐,以卜其志之定与否也。
書き下し
言動を妻子僕隸の間に愼み、身心を食息起居の際に檢す。 語言の間に盡く德を積むべく、妻子の間も亦た是れ身を修む。 晝は之を妻子に驗して、以て其の行ひの篤きと否とを觀る。 夜は之を夢寐に考へて、以て其の志の定まると否とを卜す。
現代語訳
妻子や召使いとのあいだでこそ言葉と振る舞いを慎み、食事や休息、起き臥しのときにこそ身と心を点検しなさい。 言葉を交わすなかでも十分に徳を積むことができ、妻子とのあいだもまた身を修める場です。 昼は妻子への接し方で確かめて、行いが誠実かどうかを見ます。 夜は夢のなかで考えて、志が定まっているかどうかを占います。
解説
前の単位に続き、家庭と日常を修身の場とする聯です。妻子や使用人の前、食事や寝起きといった気のゆるむ場面こそ、言動と身心を点検せよと言います。語言の間にも徳を積め、妻子の間も修身だという句は、特別な修行の場ではなく、毎日の会話と家族関係こそが人格を鍛える道場だと教えています。最後の対句は、昼は妻子への接し方で行いの誠実さを確かめ、夜は夢の内容で志が定まっているかを占うと言います。夢にまで乱れた欲が出るなら志はまだ定まっていない、という厳しい自己点検の方法です。家の中での自分を見直させてくれます。
この章句が説くこと
修身家庭持躬言葉自省
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷下一日、去る処に出て給ふ時、小用の次、路の傍なるたまり水にて口を灌ぎ手を洗ひ給ふ。一僧清くもなき水なりと云ふ。師曰く、我口よりは清かるべしと也
-
『幽夢影』巻上・惟だ耳のみ能く自ら其の聲を聞く目は自ら見る能はず、鼻は自ら嗅ぐ能はず、舌は自ら舐むる能はず、手は自ら握る能はず、惟だ耳のみ能く自ら其の聲を聞く。
-
『酔古堂剣掃』集奇・獨坐しては心を防ぐ群居しては口を閉ぢ、獨坐しては心を防ぐ。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
-
人物志・八觀其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一雑話の次でに云く、世間の男女老少多く交会姪色等の事を談ず、是を以て心を慰むるとし、興言とすることあり、一旦意をも遊戯し、徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁断すべきことなり、俗猶よき人、まことしき人の、礼儀をも存じ、げにげにしき談の時、出来らざることなり、只乱酔放逸なる時の談なり、況や僧は専ら仏道を思ふべし、雑語は希有異体の乱僧の云ふことなり、