格言聯璧 / 持躬類・千古は此の一日に在り
想自己身心,到後日置之何處。 顧本來面目,在古人像個甚人。 莫輕視此身,三才在此六尺。 莫輕視此生,千古在此一日。 醉酒飽肉,浪笑恣談,卻不錯過了一日。
新字:想自己身心,到後日置之何処。 顧本来面目,在古人像個甚人。 莫軽視此身,三才在此六尺。 莫軽視此生,千古在此一日。 酔酒飽肉,浪笑恣談,却不錯過了一日。
書き下し
自己の身心を想へ、後日に到りて之を何處にか置く。 本來の面目を顧みよ、古人に在りては箇の甚人にか像る。 此の身を輕視する莫れ、三才は此の六尺に在り。 此の生を輕視する莫れ、千古は此の一日に在り。 酒に醉ひ肉に飽き、浪りに笑ひ恣に談じて、卻て一日を錯過了せずや。
現代語訳
自分の身と心を思ってみなさい。後の日に、それをどこに置くことになるのでしょうか。 自分の本来の姿を顧みなさい。昔の人でいえば、どんな人に似ているでしょうか。 この身を軽んじてはなりません。天・地・人の三才は、この六尺の身のなかにあります。 この人生を軽んじてはなりません。永遠の時は、この一日のなかにあります。 酒に酔い肉を食べ飽き、むやみに笑い好き放題にしゃべって、かえって一日をむだに過ごしてしまってはいないでしょうか。
解説
自分の身と一日の重さを自覚させる聯です。最初の二句は、将来の自分の置き場所と、古人に照らした自分の姿を問いかけます。本来の面目は禅の言葉で、もともとの自分の姿のことです。続く対句は、三才つまり天地人がこの六尺の身に宿り、千古つまり永遠の時がこの一日に宿ると言い、身と時間の両方を軽んじるなと戒めます。最後の句は、酒食と無駄話に一日を費やすことへの反省で、次の単位の「妄動胡言して」へ続きます。今日という一日を永遠の一部として過ごす感覚は、忙しさに流されがちな日々に背筋を伸ばさせてくれます。
この章句が説くこと
光陰自省持躬修身本来面目
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