仏遺教経 / 知足
汝等比丘、若欲脫諸苦惱、當觀知足。知足之法、即是富樂安隱之處。知足之人、雖臥地上、猶為安樂、不知足者、雖處天堂、亦不稱意。不知足者、雖富而貧、知足之人、雖貧而富。不知足者、常為五欲所牽、為知足者之所憐愍。是名知足。
新字:汝等比丘、若欲脫諸苦悩、当観知足。知足之法、即是富楽安隠之処。知足之人、雖臥地上、猶為安楽、不知足者、雖処天堂、亦不称意。不知足者、雖富而貧、知足之人、雖貧而富。不知足者、常為五欲所牽、為知足者之所憐愍。是名知足。
書き下し
汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安隠の処なり。知足の人は、地上に臥すと雖も、猶お安楽と為す。不知足の者は、天堂に処すと雖も、亦た意に称わず。不知足の者は、富めりと雖も貧し。知足の人は、貧しと雖も富めり。不知足の者は、常に五欲に牽かるる所と為り、知足の者の憐愍する所と為る。是を知足と名づく。
現代語訳
比丘たちよ、もろもろの苦悩を脱したいなら、足るを知ることを観ぜよ。足るを知るという法は、そのまま富み楽しみ安らかである場所である。足るを知る人は、地面の上に寝ていてもなお安楽である。足るを知らない者は、天上の宮殿にいても心にかなわない。足るを知らない者は、富んでいても貧しい。足るを知る人は、貧しくても富んでいる。足るを知らない者は、常に五欲に引きずられ、足るを知る者から憐れまれる。これを知足という。
解説
八大人覚の第二。「不知足の者は、富めりと雖も貧し。知足の人は、貧しと雖も富めり」——富貧を所有量ではなく状態として定義し直している。地面に寝ていても安楽、天上の宮殿にいても不満、という対比が鮮やかだ。最後の一句が独特である。足るを知らない者は、足るを知る者から「憐れまれる」。羨まれるのでも軽蔑されるのでもなく、憐れまれる。どれだけ持っていても満たされない状態が、外から見れば気の毒に映るということだ。老子の「足るを知る者は富む」と同じ趣旨だが、こちらは苦悩を脱する方法として説かれている。
この章句が説くこと
知足富楽安隠の処富めりと雖も貧し貧しと雖も富めり
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