史記 / 伍子胥列伝
其後四年、吳王將北伐齊、越王句踐用子貢之謀、乃率其眾以助吳、而重寶以獻遺太宰嚭。太宰嚭既數受越賂、其愛信越殊甚、日夜為言於吳王。吳王信用嚭之計。伍子胥諫曰、夫越、腹心之病、今信其浮辭詐偽而貪齊。破齊、譬猶石田、無所用之。且盤庚之誥曰、有顛越不恭、劓殄滅之、俾無遺育、無使易種于茲邑。此商之所以興。願王釋齊而先越。若不然、後將悔之無及。而吳王不聽、使子胥於齊。子胥臨行、謂其子曰、吾數諫王、王不用、吾今見吳之亡矣。汝與吳俱亡、無益也。乃屬其子於齊鮑牧、而還報吳。
新字:其後四年、吳王将北伐斉、越王句践用子貢之謀、乃率其眾以助吳、而重宝以献遺太宰嚭。太宰嚭既数受越賂、其愛信越殊甚、日夜為言於吳王。吳王信用嚭之計。伍子胥諫曰、夫越、腹心之病、今信其浮辞詐偽而貪斉。破斉、譬猶石田、無所用之。且盤庚之誥曰、有顛越不恭、劓殄滅之、俾無遺育、無使易種于茲邑。此商之所以興。願王釈斉而先越。若不然、後将悔之無及。而吳王不聴、使子胥於斉。子胥臨行、謂其子曰、吾数諫王、王不用、吾今見吳之亡矣。汝与吳俱亡、無益也。乃属其子於斉鮑牧、而還報吳。
書き下し
其の後四年、呉王将に北のかた斉を伐たんとす。越王句踐、子貢の謀を用ゐ、乃ち其の衆を率ゐて以て呉を助け、而して重宝を以て太宰嚭に献遺す。太宰嚭既に数々越の賂を受け、其の越を愛信すること殊に甚だしく、日夜呉王の為に言ふ。呉王、嚭の計を信用す。伍子胥諫めて曰く、「夫れ越は腹心の病なり、今其の浮辞詐偽を信じて斉を貪る。斉を破るは、譬へば猶ほ石田のごとし、用ゐる所無し。且つ盤庚の誥に曰く、『顛越不恭有らば、之を劓殄滅し、遺育無からしめ、種を茲の邑に易ふること無からしめよ』と。此れ商の興りし所以なり。願はくは王斉を釈てて越を先にせよ。若し然らずんば、後将に之を悔ゆるも及ぶ無からん」と。而るに呉王聴かず、子胥を斉に使はす。子胥行くに臨み、其の子に謂ひて曰く、「吾数々王を諫むれど、王用ゐず、吾今呉の亡ぶるを見る。汝、呉と倶に亡ぶるは、益無きなり」と。乃ち其の子を斉の鮑牧に属し、還りて呉に報ず。
現代語訳
忠臣が、聞き入れられない諫言を繰り返しながら、組織の破滅を予見して静かに備える悲痛な一段です。越は策略家・子貢の計を用い、あえて呉に協力する姿勢を見せつつ、太宰・伯嚭に賄賂を贈って内側から呉を骨抜きにします。伯嚭は買収され、日夜越を弁護する。伍子胥は『斉を破っても石ころだらけの田のように役に立たない。越こそ根絶すべき腹心の病だ』と、歴史の教訓まで引いて必死に諫めますが、夫差は聞かない。ここで伍子胥がとった行動が痛切です。彼は斉への使者となる際、自分の子を斉の有力者に託します。もはや呉の滅亡は避けられないと見切り、せめて子だけは巻き添えにすまいとしたのです。組織の教訓は重層的です。第一に、敵の最も巧妙な攻撃は、正面からではなく、内部の意思決定者を買収して腐らせる形で来る。第二に、正しい忠告も、賄賂に動く側近と、都合の悪い真実を嫌うトップの前では通らない。そして第三に、優れた人材は、組織の破滅を予見すると静かに去る準備を始める——それは組織の終わりの兆候です。伍子胥の「子を託す」行為は、忠臣の絶望を無言で物語っています。