武士道 / 第十六章 武士道の命脈・諸邦の偉力ある人物を結合する要素
然るに若し果して各個國民性格の特質缺點にして、殊別の傳產と稱すべきものあらんには、此說大に傾聽するに足るものあるべし。只だ惜むらくは、此種の杓子定規論たる、ルボンの未だ其著に筆を下すに及ばずして、夙にテオドル、ヴアイツ及びヒユー、ムレー等人類學者の論破して復た餘蘊なきものなることを。武士道の浸潤したる多種の道德を考究して、之れが比較說明を歐洲の典據に求むるに當り、武士道は毫も殊有の傳產たるべき特種の性格を有するものに非ざるを認めたり。固より諸德性の集成は、全然特殊の形觀を呈す、而して此集成は即ちエマソンが名づけて、『凡百の大勢力の分子を成して集合する複雑なる結果なり』と云ふものなり。されどコンコルドの哲人は、ルポンに異なり、此れを以て一種族、一國民の特殊傳產となさず、却て之を稱して『是れぞ諸邦の最偉力ある人物を結合して、相互の知識感情を疏通せしむる要素なり。
新字:然るに若し果して各個国民性格の特質欠点にして、殊別の伝産と称すべきものあらんには、此説大に傾聴するに足るものあるべし。只だ惜むらくは、此種の杓子定規論たる、ルボンの未だ其著に筆を下すに及ばずして、夙にテオドル、ヴアイツ及びヒユー、ムレー等人類学者の論破して復た余蘊なきものなることを。武士道の浸潤したる多種の道徳を考究して、之れが比較説明を欧洲の典拠に求むるに当り、武士道は毫も殊有の伝産たるべき特種の性格を有するものに非ざるを認めたり。固より諸徳性の集成は、全然特殊の形観を呈す、而して此集成は即ちエマソンが名づけて、『凡百の大勢力の分子を成して集合する複雑なる結果なり』と云ふものなり。されどコンコルドの哲人は、ルポンに異なり、此れを以て一種族、一国民の特殊伝産となさず、却て之を称して『是れぞ諸邦の最偉力ある人物を結合して、相互の知識感情を疏通せしむる要素なり。
書き下し
然るに、もし果して各個国民性格の特質欠点にして殊別の伝産と称すべきものあらんには、此説大に傾聴するに足るものあるべし。ただ惜むらくは、此種の杓子定規論たる、ル・ボンの未だ其著に筆を下すに及ばずして、つとにテオドル・ヴァイツ及びヒュー・ムレー等、人類学者の論破して復た余蘊なきものなることを。武士道の浸潤したる多種の道徳を考究して、之れが比較説明を欧洲の典拠に求むるに当り、武士道は毫も殊有の伝産たるべき特種の性格を有するものに非ざるを認めたり。もとより諸徳性の集成は全然特殊の形観を呈す。而して此集成は、即ちエマソンが名づけて『凡百の大勢力の分子を成して集合する複雑なる結果なり』と云ふものなり。されどコンコルドの哲人はル・ボンに異なり、此れを以て一種族、一国民の特殊伝産となさず、却つて之を称して『是れぞ諸邦の最偉力ある人物を結合して、相互の知識感情を疏通せしむる要素なり』となす。
現代語訳
しかし、もし本当にそれぞれの国民の性格の特質や欠点が特別な遺産と呼べるものであるなら、この説は大いに耳を傾けるに値するでしょう。ただ惜しむらくは、この種の杓子定規な議論が、ル・ボンがまだ著作に筆を下す前から、テオドル・ヴァイツやヒュー・マレーといった人類学者によって論破し尽くされていることです。武士道が染み渡った多様な道徳を研究し、その比較説明をヨーロッパの典拠に求めるにあたって、武士道には特有の遺産と呼べるような特別な性格は少しもないと認めました。もちろん諸徳の集まりはまったく特別な姿を呈します。この集まりこそ、エマソンが、あらゆる大きな力が分子となって集合した複雑な結果である、と名づけたものです。しかしコンコードの哲人はル・ボンと異なり、これを一民族や一国民の特別な遺産とはせず、かえって、これこそ諸国の最も力ある人物を結びつけて、互いの知識と感情を通じ合わせる要素である、と呼びます。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・盲人に向かいて誇るがごとししかるに今わずかに謹慎勉強の一事をもって人類生涯の事となすべきや。思わざるのはなはだしきものなり。人として酒色に溺るる者はこれを非常の怪物と言うべきのみ。この怪物に比較して満足する者は、これを譬えば双眼を具するをもって得意となし、盲人に向かいて誇るがごとし。いたずらに愚を表するに足るのみ。ゆえに酒色云々の談をなして、あるいはこれを論破し、あるいはこれを是非するの間は、到底諸論の賤しきものと言わざるを得ず。人の品行少しく進むときはこれらの醜談はすでにすでに経過し了して、言に発するも人に厭わるるに至るべきはずなり。
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論語・公冶長篇子、子貢に謂いて曰く、「女と回と孰れか愈れる。」対えて曰く、「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞きて以て二を知る。」子曰く、「如かざるなり。吾と女と、如かざるなり。」
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『墨子』經說下見ると見ざるとは離る。一と二とは相い盈たさず。廣と循と堅白となり。舉げて重からざるは箴と與にせず、力の任に非ざるなり。握る者の倍を為すは、智の任に非ざるなり。耳目の若し。異。木と夜と孰れか長き。智と粟と孰れか多き。爵と親と行と賈と、四者孰れか貴き。麋と霍と孰れか髙き。麋と霍と孰れか霍なる。虭と瑟と孰れか瑟なる。偏。倶に一にして變ずる無し。假。假は必ず非なり、而る後に假なり。狗の霍を假るは、猶お霍を氏とするがごときなり。物。或いは之を傷るは、然るなり。之を見るは、智なり。之を吉するは、智らしむるなり。疑。蓬、務を為せば則ち士なり。牛廬を為る者、夏、寒きは、蓬なり。之を舉ぐれば則ち輕く、之を廢すれば則ち重きは、力有るに非ざるなり。沛、削に従うは、巧に非ざるなり。石と羽との若きは、楯なり。鬬う者の敝るるや、飲酒を以てす。曰中を以てするが若し。是れ智る可からざるなり、愚なり。智なるか、已を以て然りと為すか。愚なり。
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・事物の有様を比較して上流に向かいしからばすなわち、人の見識を高尚にして、その品行を提起するの法いかがすべきや。その要訣は事物の有様を比較して上流に向かい、みずから満足することなきの一事にあり。ただし有様を比較するとはただ一事一物を比較するにあらず、この一体の有様と、かの一体の有様とを並べて、双方の得失を残らず察せざるべからず。譬えば今、少年の生徒、酒色に溺るるの沙汰もなくして謹慎勉強すれば、父兄・長老に咎めらるることなく、あるいは得意の色をなすべきに似たれども、その得色はただ他の無頼生に比較してなすべき得色のみ。謹慎勉強は人類の常なり、これを賞するに足らず、人生の約束は別にまた高きものなかるべからず。広く古今の人物を計え、誰に比較して誰の功業に等しきものをなさばこれに満足すべきや。必ず上流の人物に向かわざるべからず。あるいは我に一得あるも彼に二得あるときは、我はその一得に安んずるの理なし。いわんや後進は先進に優るべき約束なれば、古を空しゅうして比較すべき人物なきにおいてをや。今人の職分は大にして重しと言うべし。
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『墨子』非命上然り而して今、天下の士君子、或いは命を以て有りと為す。益た盖ぞ嘗て尚に聖王の事を觀ん。古者、桀の亂す所、湯、受けて之を治め、紂の亂す所、武王、受けて之を治む。此の世、未だ易わらず、民、未だ渝らざるに、桀紂に於いては則ち天下亂れ、湯武に在りては則ち天下治まる。豈に命有りと謂う可けんや。
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『墨子』三辯程繁、子墨子に問いて曰く、「『聖王は樂を為さず』と。昔、諸侯は聴治に倦めば、鍾鼔の樂に息い、士大夫は聴治に倦めば、竽瑟の樂に息い、農夫は春に耕し夏に耘り、秋に斂め冬に蔵むれば、聆缶の樂に息う。今、夫子は『聖王は樂を為さず』と曰う。此れ之を譬うるに猶お馬駕して稅かず、弓張りて弛めざるがごとし。乃ち血氣有る者の至る能わざる所に非ざる無からんや」と。子墨子曰く、「昔者、堯舜に《第期》なる者有り、且つ以て禮と為し、且つ以て樂と為す。湯、桀を大水に放ち、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。自ら樂を作り、命じて《九招》と曰う。武王、殷に勝ち紂を殺し、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。先王の樂に因り、又た自ら樂を作り、命じて《象》と曰う。周の成王は先王の樂に因り、命じて《騶虞》と曰う。周の成王の天下を治むるや、武王に若かず。武王の天下を治むるや、成湯に若かず。成湯の天下を治むるや、堯舜に若かず。故に其の樂の逾いよ繁き者は、其の治、逾いよ寡し。此れより之を觀れば、樂は天下を治むる所以に非ざるなり」と。