十八史略 / 『十八史略』後漢・馬援・画虎類狗の戒め
援在交趾嘗遣書戒其兄子曰吾欲汝曹聞人過如聞父母名耳可聞口不可言好議論人長短妄是非改法不願子孫有此行也龍伯高敦厚周愼謙約節儉吾愛之重之願汝曹効之杜季良豪俠好義憂人之憂樂人之樂父喪致客數郡畢至吾愛之重之不願汝曹効之也効伯高不得猶為謹敕之士所謂刻鵠不成尚類鶩者也効季良不得陷為天下輕薄子所謂畫虎不成反類狗者也
新字:援在交趾嘗遣書戒其兄子曰吾欲汝曹聞人過如聞父母名耳可聞口不可言好議論人長短妄是非改法不願子孫有此行也竜伯高敦厚周慎謙約節倹吾愛之重之願汝曹効之杜季良豪侠好義憂人之憂楽人之楽父喪致客数郡畢至吾愛之重之不願汝曹効之也効伯高不得猶為謹勅之士所謂刻鵠不成尚類鶩者也効季良不得陥為天下軽薄子所謂画虎不成反類狗者也
書き下し
援、交趾に在り。嘗て書を遣りて其の兄の子を戒めて曰く、吾、汝が曹の人の過ちを聞くこと、父母の名を聞くが如くならんことを欲す。耳には聞くべきも、口には言うべからず。好んで人の長短を議論し、妄りに是非して法を改むるは、子孫に此の行い有るを願わざるなり。龍伯高は敦厚周慎、謙約節倹にして、吾、之を愛し之を重んず。汝が曹の之に効わんことを願う。杜季良は豪俠にして義を好み、人の憂いを憂え、人の楽しみを楽しむ。父の喪に客を致すこと数郡、畢く至る。吾、之を愛し之を重んずるも、汝が曹の之に効うを願わざるなり。伯高に効いて得ざれば、猶お謹敕の士たり。所謂鵠を刻みて成らざるも、尚お鶩に類する者なり。季良に効いて得ざれば、陥りて天下の軽薄子と為る。所謂虎を画きて成らず、反って狗に類する者なり。
現代語訳
馬援は交趾にいたとき、手紙を送って兄の子たちを戒めました。「私は、おまえたちが人の過ちを耳にしても、父母の名を聞くときのように、耳には入れても口には出さないでほしいと思っている。人の長所や短所を論じたがり、むやみに是非を言って法まで変えようとするような行いが、子や孫にあることを私は望まない。龍伯高は誠実で情に厚く、慎み深く、控えめで倹約を守る人物だ。私は彼を愛し、重んじている。おまえたちにも見習ってほしい。杜季良は豪放で義を好み、人の憂いを自分の憂いとし、人の楽しみを自分の楽しみとする。父の葬儀には、数郡から客がみなやって来た。私は彼も愛し、重んじているが、おまえたちが見習うことは望まない。伯高を見習って及ばなくても、慎み深い人にはなれる。いわゆる白鳥を彫ろうとして成らなくても、アヒルには似る、というものだ。季良を見習って及ばなければ、落ちぶれて世の軽薄な者になってしまう。いわゆる虎を描こうとして成らず、かえって犬に似てしまう、というものだ」。
解説

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