人物志 / 八觀
愛不可少於敬,少於敬,則廉節者歸之,而眾人不與。愛多於敬,則雖廉節者不悅,而愛接者死之。
新字:愛不可少於敬,少於敬,則廉節者帰之,而眾人不与。愛多於敬,則雖廉節者不悅,而愛接者死之。
書き下し
愛は敬より少なかるべからず。敬より少なければ、則ち廉節の者は之に帰すれども、衆人は与せず。愛敬より多ければ、則ち廉節の者悦ばずと雖も、愛もて接する者は之に死す。
現代語訳
愛は敬より少なくてはならない。敬より愛が少なければ、清廉な節操を持つ者はその人になつくが、多くの人々はついてこない。逆に愛が敬より多ければ、清廉な節操を持つ者は喜ばないが、愛情をもって接した者はその人のために命を投げ出す。
解説
愛情が敬意より少ないと、清廉な人はなつくが多くの人はついてこないと人物志は分析する。逆に愛情が敬意より多いと、清廉な人は物足りなく感じるが、愛情を受けた人はその人のために命さえ懸けるという。どちらが正しいというより、愛と敬の配分によって集まる人の質が変わるという指摘が興味深い。身近な人間関係でも、厳しさに寄りすぎているか情に寄りすぎているかを振り返ると、なぜ特定の人ばかりが離れていくのか見えてくることがある。
この章句が説くこと
敬愛バランス人望
関連する章句
-
李衛公問対・卷中文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。
-
尉繚子・十二陵衆を得るは人に下るに在り。
-
言志四録・南洲手抄己を喪へば斯に人を喪ふ。人を喪へば斯に物を喪ふ。
-
葉隠・聞書第一直茂公(なおしげこう)御意(ぎょい)の通(とお)り、志(こころざし)ある侍(さむらい)は諸朋輩(しょほうばい)と懇意(こんい)に寄(よ)り合(あ)うはずなり。それゆえ、侍(さむらい)より足軽(あしがる)まで大分(だいぶ)入魂(じっこん)いたし置(お)きたり。この衆(しゅう)は自然(しぜん)の時(とき)一働(ひとはたら)き存(ぞん)じ立(た)ち候(そうろう)が、「主人(しゅじん)の御為(おんため)に同意(どうい)あるまじきや」と申(もう)す時(とき)、二三(にさん)といわぬところ(ぐずぐず言わぬところ)、見届(みとど)け置(お)きたり。されば、よき家来(けらい)を持(も)ちたる始(はじ)めなり。御為(おんため)になることなり。
-
史記 孫子呉起列伝呉起、西河の守と為り、甚だ声名有り。魏、相を置き、田文を相とす。呉起悦ばず、田文に謂ひて曰く、「請ふ、子と功を論ぜん、可なるか」と。田文曰く、「可なり」と。起曰く、「三軍を将ゐ、士卒をして死を楽ひ、敵国をして敢て謀らざらしむるは、子、起と孰れぞ」と。文曰く、「子に如かず」と。起曰く、「百官を治め、万民を親しましめ、府庫を実たすは、子、起と孰れぞ」と。文曰く、「子に如かず」と。起曰く、「西河を守りて秦の兵敢て東に郷はず、韓・趙賓従せしむるは、子、起と孰れぞ」と。文曰く、「子に如かず」と。起曰く、「此の三者、子皆吾が下に出づ、而るに位、吾が上に加はるは何ぞや」と。文曰く、「主少くして国疑ひ、大臣未だ附かず、百姓信ぜず。是の時に方りて、之を子に属せんか、之を我に属せんか」と。起、黙然たること良や久しくして曰く、「之を子に属せん」と。文曰く、「此れ乃ち吾が子の上に居る所以なり」と。呉起乃ち自ら田文に如かざるを知る。
-
史記 孫子呉起列伝魏の文侯既に卒し、起、其の子武侯に事ふ。武侯、西河に浮かびて下り、中流にして、顧みて呉起に謂ひて曰く、「美なるかな山河の固め、此れ魏国の宝なり」と。起、対へて曰く、「徳に在りて険に在らず。昔、三苗氏、洞庭を左にし彭蠡を右にするも、徳義修まらず、禹之を滅ぼす。夏桀の居は、河・済を左にし泰・華を右にし、伊闕其の南に在り、羊腸其の北に在るも、政を修むるに仁ならず、湯之を放つ。殷紂の国、孟門を左にし太行を右にし、常山其の北に在り、大河其の南を経るも、政を修むるに徳ならず、武王之を殺す。此れに由りて之を観れば、徳に在りて険に在らず。若し君、徳を修めずば、舟中の人尽く敵国と為らん」と。武侯曰く、「善し」と。