人物志 / 釋爭
是故,舜讓于德而顯義登聞,湯降不遲而聖敬日躋;隙至上人而抑下滋甚,王叔好爭而終于出奔。然則
新字:是故,舜譲于徳而顕義登聞,湯降不遅而聖敬日躋;隙至上人而抑下滋甚,王叔好争而終于出奔。然則
書き下し
是の故に、舜は徳に譲りて顕義登聞し、湯は降ること遅からずして聖敬日に躋る。隙至は人に上りて抑下滋々甚だしく、王叔は争ひを好みて終に出奔す。然らば則ち
現代語訳
それゆえ、舜(古代の聖王)は徳のある者に位を譲って、その明らかな義が天に聞こえ、湯(殷の開祖)は人にへりくだることを怠らず、聖なる慎みが日に日に高まった。一方、隙至(郤至、春秋時代の晋の大夫)は人の上に立とうとして、かえって抑えつけられることがますますひどくなり、王叔(王叔陳生、周の卿士)は争いを好んで、ついには国外へ逃げ出した。そうであるなら、
解説
「釈争」で、譲る者と争う者の対比を歴史の実例で示す一節である。舜が徳ある者に譲ったことはその義を天下に知らしめ、殷の湯王がへりくだり続けたことはその聖徳を日々高めたと、『尚書』や『詩経』商頌の言葉を用いて述べる。対して、晋の郤至は功を誇って人の上に立とうとして身を滅ぼし、周の王叔陳生は伯輿と政を争って晋へ出奔した。いずれも『春秋左氏伝』に見える人物である。劉劭は聖王と失敗者を並べることで、譲ることが結果として人を高め、争うことが人を落とすという法則を示そうとした。この直後には「卑譲降下は茂進の遂路、矜奮侵陵は毀塞の険途」と結論が続く。昇進争いや手柄争いに加わりたくなるとき、思い出したい対比である。
関連する章句
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人物志・釋爭凡そ此の数者は、皆道の奇、物の変なり。三変して後に之を得。故に人末(いま)だ能く遠からざるなり。夫れ唯だ道を知り変に通ずる者のみ、然る後に能く之に処る。是の故に、孟之反は伐らざるを以て聖人の誉れを獲、管叔は賞を辞するを以て嘉重の賜を受く。夫れ豈に詭遇して以て之を求めんや。乃ち純徳自然の合ふ所なり。彼の
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
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人物志・釋爭是の故に、轡を並べて先を争ひて相奪ふこと能はず、両つながら頓き倶に折れて後なる者の趨く所と為る。是に由りて之を論ずれば、争譲の途、其の別明らかなり。然るに勝を好むの人は、猶ほ然らずと謂ひ、前に在るを以て速鋭と為し、後に処るを以て留滞と為し、衆に下るを以て卑屈と為し、等を躡むを以て異傑と為し、敵に譲るを以て迴辱と為し、上を陵ぐを以て高厲と為す。是の故に、抗奮して遂に往き、自ら反ること能はざるなり。夫れ抗を以て賢に遇へば必ず遜下せられ、抗を以て暴に遇へば必ず敵難を搆ふ。敵難既に搆ふれば、則ち是非の理必ず溷りて明らかにし難し。溷りて明らかにし難ければ則ち其の自ら毀るとは何を以て異ならんや。且つ人の己を毀るは、皆怨憾に発して、変は舋に生ずるなり。必ず事に依託して端末を飾り成す。其の聴く者に於けるや、尽くは信ぜずと雖も、猶ほ半ばは以て然りと為すなり。己の校報も、亦た又之の如し。終に其の帰する所は、亦た各々半信の遠近に著はるる有るなり。然らば則ち、
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人物志・釋爭雋を争ひて未だ別れざれば、則ち力を用ふる者憊ると為る。是の故に、藺相如は車を迴らすを以て勝ちを廉頗に決し、寇恂は闘はざるを以て賢を賈復に取る。物勢の反は、乃ち君子の所謂道なり。是の故に、
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人物志・釋爭是を以て君子は挙ぐるに敢へて儀準を越えず、志すに敢へて軌等を凌がず。内は己を勤めて以て自ら済し、外は謙譲して以て敬懼す。是を以て怨難身に在らずして、栄福長久に通ずるなり。彼の小人は則ち然らず、功を矜り能を伐り、好んで以て人を陵ぐ。是を以て
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人物志・釋爭伐らざる者は之を伐つなり、争わざる者は之を争うなり。敵に讓る者は之に勝つなり、衆に下る者は之に上るなり。
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