人物志 / 七繆
精微所以入神妙也,懿重所以崇德宇也,志大所以戡物任也,心小所以慎咎悔也。故《詩》詠文王:「小心翼翼」「不大聲以色。」小心也;「王赫斯怒,以對于天下。」志大也。由此論之,心小志大者,聖賢之倫也;心大志大者,豪傑之雋也;心大志小者,傲蕩之類也;心小志小者,拘懦之人也。眾人之察,或陋其心小,或壯其志大,是誤於小大者也。夫人材不同,成有早晚:有早智速成者,有晚智而晚成者,有少無智而終無所成者,有少有令材遂為雋器者:四者之理,不可不察。夫幼智之人,材智精達;然其在童髦,皆有端緒。故文本辭繁,辯始給口,仁出慈恤,施發過與,慎生畏懼,廉起不取。
新字:精微所以入神妙也,懿重所以崇徳宇也,志大所以戡物任也,心小所以慎咎悔也。故《詩》詠文王:「小心翼翼」「不大声以色。」小心也;「王赫斯怒,以対于天下。」志大也。由此論之,心小志大者,聖賢之倫也;心大志大者,豪傑之雋也;心大志小者,傲蕩之類也;心小志小者,拘懦之人也。衆人之察,或陋其心小,或壮其志大,是誤於小大者也。夫人材不同,成有早晩:有早智速成者,有晩智而晩成者,有少無智而終無所成者,有少有令材遂為雋器者:四者之理,不可不察。夫幼智之人,材智精達;然其在童髦,皆有端緒。故文本辞繁,弁始給口,仁出慈恤,施発過与,慎生畏懼,廉起不取。
書き下し
精微は神妙に入る所以なり、懿重は徳宇を崇くする所以なり、志大は物任に戡ふる所以なり、心小は咎悔を慎む所以なり。故に『詩』に文王を詠ず、「小心翼翼」「声と色とを大にせず」とは、小心なり。「王赫として斯に怒り、以て天下に対ふ」とは、志大なり。此に由りて之を論ずれば、心小にして志大なる者は、聖賢の倫なり。心大にして志大なる者は、豪傑の雋なり。心大にして志小なる者は、傲蕩の類なり。心小にして志小なる者は、拘懦の人なり。衆人の察は、或いは其の心小を陋しとし、或いは其の志大を壮とす。是れ小大に誤る者なり。夫れ人材は同じからず、成るに早晩有り。早智にして速やかに成る者有り、晩智にして晩く成る者有り、少くして智無く終に成る所無き者有り、少くして令材有り遂に雋器と為る者有り。四者の理、察せざるべからず。夫れ幼智の人は、材智精達す。然れども其の童髦に在るや、皆端緒有り。故に文は辞の繁きに本づき、弁は口の給なるに始まり、仁は慈恤に出で、施は過与に発し、慎は畏懼に生じ、廉は取らざるに起こる。
現代語訳
精神の精妙さは神妙の境地に入るためのものであり、資質の重厚さは徳の器を高めるためのものであり、志の大きさは物事の任に堪えるためのものであり、心の小ささ(細心さ)は過ちや後悔を慎むためのものである。だから『詩経』は文王(周の文王)を詠んで、「つつしみ深く恭しい」「声や顔色を荒立てない」と言うが、これは心の小ささである。「王は激しく怒り、天下の期待に応えた」と言うが、これは志の大きさである。ここから論じれば、心が小さく志が大きい者は、聖人や賢人の仲間である。心が大きく志も大きい者は、豪傑の中の優れ者である。心が大きく志が小さい者は、傲慢で放縦な類である。心が小さく志も小さい者は、こせこせして気弱な人である。ところが多くの人の見方は、その心の小ささを卑しいとしたり、その志の大きさを勇ましいと褒めたりする。これが大小を取り違える者である。そもそも人の才は同じでなく、完成するのに早い遅いがある。早くから知恵があって速やかに完成する者もいれば、知恵がつくのが遅く完成も遅い者もいれば、幼いころ知恵がなく最後まで何も成し遂げない者もいれば、幼いころからよい才があってそのまま優れた器となる者もいる。この四者の道理は、よく察しなければならない。そもそも幼くして知恵のある人は、才知が精しく行き届いている。しかしその子どものころに、すでにみな兆しがある。だから、文才は言葉数の多さに基づき、弁論の才は口の達者さに始まり、仁は慈しみあわれむ心から出て、施しの心は与えすぎるところから生じ、慎み深さは恐れから生まれ、清廉は物を受け取らないところから起こる。
解説
関連する章句
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『長短経』知人〔人物志に曰く「夫れ精は深微ならんことを欲し、質は懿重ならんことを欲し、志は弘大ならんことを欲し、心は謙小ならんことを欲す。精微は神妙に入る所以なり。懿重は徳守を崇くする所以なり。志大は物任に堪うる所以なり。小心は咎悔を慎む所以なり。故に詩は文王を詠じて『小心翼翼』と、声色を大にせざるは心の小なればなり。『王赫として斯に怒る』と、以て天下に対するは志の大なればなり。此れに由りて之を論ずれば、心小にして志大なる者は聖賢の倫なり。心大にして志大なる者は豪傑の儁なり。心大にして志小なる者は傲蕩の類なり。心小にして志小なる者は拘懦の人なり」と。〕
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人物志・七繆早智なる者は浅恵にして見ること速く、晩成なる者は奇識にして舒ぶること遅く、終に暗き者は並びに不足に困しみ、務めを遂ぐる者は周達にして餘り有り。
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人物志・七繆精は深微ならんことを欲し、質は懿重ならんことを欲し、志は弘大ならんことを欲し、心は嗛小ならんことを欲す。
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人物志・七繆而るに人の奇を求むるや、精微を以て其の玄機を測り、異希を明らかにすること能はず。或いは貌の少なきを以て足らずと為し、或いは瑰姿を以て巨偉と為し、或いは直露を以て虚華と為し、或いは巧飭を以て真実と為す。是を以て早く抜くは誤り多く、順次に如かず。夫れ順次は、常度なり。苟くも其の実を察せずんば、亦た焉くに往くとして失はざらん。故に賢を遺して賢済すこと有れば、則ち恨み早く抜かざるに在り。奇を抜きて奇敗るること有れば、則ち患ひ素より別たざるに在り。意に任せて独り繆れば、則ち悔い広く問はざるに在り。広く問ひて己を誤れば、則ち己の自ら信ぜざるを怨む。是を以て驥子足を発して、衆士乃ち誤る。韓信功を立てて、淮陰乃ち震ふ。夫れ豈に奇を悪みて疑ひを好まんや。乃ち尤物は世々見えずして、奇逸は美異なればなり。是を以て張良は体弱くして精彊く、衆智の雋と為る。荊叔は色平らかにして神勇あり、衆勇の傑と為る。然らば則ち、雋傑は、衆人の尤なり。聖人は、衆尤の尤なり。其の尤彌々出づる者は、其の道彌々遠し。故に一国の雋は、州に於いて輩と為り、未だ第と為るを得ず。一州の第は、天下に於いて椳と為る。天下の椳は、世に憂劣有り。是の故に、衆人の貴ぶ所は、各々其の己に出づるの尤を貴びて、尤の尤とする所を貴ばず。是の故に、衆人の明は、能く輩士の数を知れども、第目の度を知ること能はず。輩士の明は、能く第目の度を知れども、出尤の良を識ること能はず。出尤の人は、能く聖人の教へを知れども、之が入室の奥を究むること能はず。是に由りて之を論ずれば、人物の理は妙にして、得て窮むべからざるのみ。
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人物志・七繆七繆とは、一に曰く、誉を察するに偏頗の繆有り。二に曰く、物に接するに愛悪の惑有り。三に曰く、心を度るに大小の誤有り。四に曰く、質を品するに早晩の疑有り。五に曰く、類を変ずるに同体の嫌有り。六に曰く、材を論ずるに申圧の詭有り。七に曰く、奇を観るに二尤の失有り。夫れ采訪の要は、多少に在らず。然れども徴質明らかならざる者は、耳を信じて敢へて目を信ぜず。故に人以て是と為せば、則ち心随ひて之を明とし、人以て非と為せば、則ち意転じて之に化す。嫌ふ所無しと雖も、意疑はざるが若し。且つ人の物を察するや、亦た自ら誤り有り。愛憎之を兼ね、其の情万原なり。其の本を暢べずんば、胡ぞ必ず信ずべけんや。是の故に、
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人物志・七繆尤妙の人は、精を內に含み、外に飾姿無し。尤虛の人は、碩言瑰姿にして、內実は乖反す。
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