人物志 / 七繆
以其所乏,不明己長;以其所長,輕己所短;則不自知志乖氣違,忽忘其善。是惑於愛惡者也。夫
新字:以其所乏,不明己長;以其所長,軽己所短;則不自知志乖気違,忽忘其善。是惑於愛悪者也。夫
書き下し
其の乏しき所を以て、己の長を明らかにせず、其の長ずる所を以て、己の短き所を軽んずれば、則ち自ら志乖き気違ふを知らずして、忽ち其の善を忘る。是れ愛悪に惑ふ者なり。夫れ
現代語訳
(善い人であっても欠けたところがあり、)その欠けたところのせいで、こちらの長所を認めてくれず、その人の長所をもって、こちらの短所を軽んじるので、知らず知らずのうちに志が合わず気持ちが食い違っていき、たちまちその善を忘れてしまう。これが好き嫌いに惑わされる者である。そもそも、
解説
七繆の第二「愛悪」の結論部分である。直前で劉劭は、悪人でも自分の長所と重なる点があれば親しみを覚えてその悪を忘れる、と述べた。ここでは逆に、善人であっても、自分の長所を認めてくれず、その人の長所で自分の短所を軽んじるなら、気持ちが離れてその善を忘れてしまう、と言う。人は相手の善悪そのものではなく、相手が自分をどう扱うかによって好き嫌いを決め、その好き嫌いで評価まで歪めてしまう。劉劭はこれを「愛悪に惑ふ」と名づけた。職場でも、自分を認めてくれる部下を高く、自分に厳しい意見を言う部下を低く評価していないだろうか。人を評価するときは、まず自分の好き嫌いを一度脇に置く習慣が欠かせない。
関連する章句
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人物志・七繆善人は善なりと雖も、猶乏しき所有り。
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人物志・七繆故に州閭の士、皆誉め皆毀るも、未だ正と為すべからざるなり。交遊の人、誉むること三周せざれば、未だ必ずしも是を信ぜざるなり。夫れ実厚の士は、交遊の間、必ず在る所毎に肩称せらる。上等は之を援き、下等は之を推す。苟くも周きこと能はざれば、必ず咎毀有り。故に上に偏りて下を失へば、則ち其の終り毀り有り。下に偏りて上を失へば、則ち其の進むこと傑れず。故に誠に能く三周すれば、則ち国の利とする所と為る。此れ正直の交はりなり。故に皆合して是とするも、亦た違比有り。皆合して非とするも、或いは其の中に在り。若し奇異の材有れば、則ち衆の見る所に非ず。而るに耳の聴采する所、多きを以て信と為す。是れ誉を察するに繆る者なり。夫れ善を愛し悪を疾むは、人情の常とする所なり。苟くも賢を明らかにせざれば、或いは善を疏んじ非を善しとす。何を以て之を論ぜん。夫れ非を善しとする者は、非なりと雖も猶ほ是とする所有り。其の是とする所の、己の長ずる所に順ふを以て、則ち自ら情通じ意親しむを覚えずして、忽ち其の悪を忘る。
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人物志・七繆七繆とは、一に曰く、誉を察するに偏頗の繆有り。二に曰く、物に接するに愛悪の惑有り。三に曰く、心を度るに大小の誤有り。四に曰く、質を品するに早晩の疑有り。五に曰く、類を変ずるに同体の嫌有り。六に曰く、材を論ずるに申圧の詭有り。七に曰く、奇を観るに二尤の失有り。夫れ采訪の要は、多少に在らず。然れども徴質明らかならざる者は、耳を信じて敢へて目を信ぜず。故に人以て是と為せば、則ち心随ひて之を明とし、人以て非と為せば、則ち意転じて之に化す。嫌ふ所無しと雖も、意疑はざるが若し。且つ人の物を察するや、亦た自ら誤り有り。愛憎之を兼ね、其の情万原なり。其の本を暢べずんば、胡ぞ必ず信ずべけんや。是の故に、
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『慎思録』巻之二衆人の愛悪は、私情の偏僻に出でて、理に違ふ者多し。世に謹厚淳実の人有るも、復た斯の偏僻の病有ることを免れざる者は、何ぞや。蓋し其の心智昏昧にして蔽惑する所有るに因るなり。人を愛悪する者は、当に自ら省察すべき所なり。
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人物志・七繆名利の路は、是得に在り。損害の源は、非失に在り。故に人は賢愚と無く、皆是得をして己に在らしめんと欲す。能く己の是を明らかにするは、同体に過ぐるは莫し。是を以て偏材の人は、交遊進趨の類、皆同体を親愛して之を誉め、対反を憎悪して之を毀り、異雑を序して尚ばざるなり。推して之を論ずれば、他の故無し。夫れ同体を誉め、対反を毀るは、彼の非を証して己の是を著す所以なり。異雑の人に至りては、彼に於いて益無く、己に於いて害無ければ、則ち序して尚ばず。是の故に、
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人物志・七繆同体の人は、常に過誉に患い、其の名敵するに及びては、則ち尟かに能く相下る。
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