人物志 / 八觀
剛者不厲,無以濟其剛;既悅其剛,不可非其厲;厲也者,剛之徵也。和者不懦,無以保其和;既悅其和,不可非其懦;懦也者,和之徵也。介者不拘,無以守其介;既悅其介,不可非其拘;拘也者,介之徵也。
新字:剛者不厲,無以済其剛;既悦其剛,不可非其厲;厲也者,剛之徴也。和者不懦,無以保其和;既悦其和,不可非其懦;懦也者,和之徴也。介者不拘,無以守其介;既悦其介,不可非其拘;拘也者,介之徴也。
書き下し
剛なる者厲しからざれば、以て其の剛を済す無し。既に其の剛を悦べば、其の厲しきを非とすべからず。厲しきは、剛の徴なり。和なる者懦ならざれば、以て其の和を保つ無し。既に其の和を悦べば、其の懦を非とすべからず。懦は、和の徴なり。介なる者拘ならざれば、以て其の介を守る無し。既に其の介を悦べば、其の拘を非とすべからず。拘は、介の徴なり。
現代語訳
剛い者が厳しくなければ、その剛さを成し遂げることはできない。その剛さを好ましく思うなら、その厳しさを非難してはならない。厳しさは、剛さのしるしである。温和な者が気弱でなければ、その温和さを保つことはできない。その温和さを好ましく思うなら、その気弱さを非難してはならない。気弱さは、温和さのしるしである。節操の堅い者が融通がきかなくなければ、その節操を守ることはできない。その節操を好ましく思うなら、その融通のなさを非難してはならない。融通のなさは、節操のしるしである。
解説
八観の第七「所短」の中心で、短所は長所の裏返しであることを、剛・和・介の三つの資質で説く一節である。剛い人は厳しく、温和な人は気弱で、節操の堅い人は融通がきかない。その長所を好むなら、それに伴う短所を責めてはならない、と劉劭は言う。この直前には「直なる者は訐かざれば以て其の直を成す無し」と、まっすぐな人の攻撃性についても同じ論が述べられている。偏材は、ある方向に強いからこそ別の方向に弱いというのが『人物志』の一貫した見方であり、中庸の兼材でない限り短所のない人はいない。部下の欠点を直そうとして長所まで削いでしまうことは多い。欠点を見たら、それがどんな長所の徴なのかを考えてみることが、人を活かす第一歩になる。
関連する章句
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人物志・八觀直の失や訐、剛の失や厲、和の失や懦、介の失や拘。
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人物志・八觀然れども短有る者は、未だ必ずしも能く長ぜざるなり。長有る者は必ず短を以て徴と為す。是の故に、其の徴の短なる所を観て、其の材の長なる所知るべきなり。
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人物志・八觀七に曰く、其の短なる所を観て、以て長なる所を知る。
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『長短経』徳表人物志に曰く「厲直剛毅は、材は矯正に在り、失は激訐に在り。〔強毅の人は、佷剛にして和せず。其の強の搪突を戒めずして、順を以て撓と為し、其の亢を厲ます。是の故に、与に法を立つ可くして、与に微に入り難きなり。〕柔順安恕は、美は寛容に在り、失は決少なきに在り。〔柔順の人は、緩心にして寛断なり。其の事の摂まらざるを戒めずして、亢を以て劌と為し、其の舒に安んず。是の故に、与に常に循う可くして、与に疑を権り難きなり。〕雄捍桀健は、任は胆烈に在り、失は忌少なきに在り。〔雄捍の人は、気奮い英決なり。其の勇の毀跌を戒めずして、順を以て恇と為し、其の勢いを竭くす。是の故に、与に難に渉る可くして、与に屈に居り難きなり。〕
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人物志・體別是の故に、厲直剛毅なるは、材は矯正に在り、失は激訐に在り。
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人物志・八觀是の故に、人其の短き所を駮せば、物の之を冒ふが若きに似たり。是れ所謂其の伐る所を駮せば則ち婟(こだわ)るなり。人情は上を陵ぐ者なり。其の悪む所を陵犯するは、憎まると雖も未だ害あらざるなり。若し長を以て短を駮せば、是れ所謂悪を以て婟を犯すにして、則ち妒悪生ず。凡そ此の六機は、其の帰するところ皆上に処らんと欲するなり。是を以て君子は物に接するに、犯さるるも校せず。校せざれば則ち敬下せざる無く、其の害を避くる所以なり。小人は則ち然らず、既に機を見ずして、人の己に順はんことを欲す。佯りの愛敬を以て異とせらると為し、偶々の邀会を以て軽んぜらると為し、苟くも其の機を犯せば、則ち深く以て怨みと為す。是の故に、其の情機を観て、賢鄙の志、得て知るべきなり。何をか其の短き所を観て、以て長ずる所を知ると謂ふ。夫れ偏材の人は、皆短き所有り。故に、
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