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人物志 / 八觀

是故,人駮其所短,似若物冒之,是所謂駮其所伐則婟也。人情陵上者也,陵犯其所惡,雖見憎未害也;若以長駮短,是所謂以惡犯婟,則妒惡生矣。凡此六機,其歸皆欲處上。是以君子接物,犯而不校,不校則無不敬下,所以避其害也。小人則不然,既不見機,而欲人之順己。以佯愛敬為見異,以偶邀會為輕;苟犯其機,則深以為怨。是故,觀其情機,而賢鄙之志,可得而知也。何謂觀其所短,以知所長?夫偏材之人,皆有所短。故:

新字:是故,人駮其所短,似若物冒之,是所謂駮其所伐則婟也。人情陵上者也,陵犯其所悪,雖見憎未害也;若以長駮短,是所謂以悪犯婟,則妬悪生矣。凡此六機,其帰皆欲処上。是以君子接物,犯而不校,不校則無不敬下,所以避其害也。小人則不然,既不見機,而欲人之順己。以佯愛敬為見異,以偶邀会為軽;苟犯其機,則深以為怨。是故,観其情機,而賢鄙之志,可得而知也。何謂観其所短,以知所長?夫偏材之人,皆有所短。故:

書き下し

是の故に、人其の短き所を駮せば、物の之を冒ふが若きに似たり。是れ所謂其の伐る所を駮せば則ち婟(こだわ)るなり。人情は上を陵ぐ者なり。其の悪む所を陵犯するは、憎まると雖も未だ害あらざるなり。若し長を以て短を駮せば、是れ所謂悪を以て婟を犯すにして、則ち妒悪生ず。凡そ此の六機は、其の帰するところ皆上に処らんと欲するなり。是を以て君子は物に接するに、犯さるるも校せず。校せざれば則ち敬下せざる無く、其の害を避くる所以なり。小人は則ち然らず、既に機を見ずして、人の己に順はんことを欲す。佯りの愛敬を以て異とせらると為し、偶々の邀会を以て軽んぜらると為し、苟くも其の機を犯せば、則ち深く以て怨みと為す。是の故に、其の情機を観て、賢鄙の志、得て知るべきなり。何をか其の短き所を観て、以て長ずる所を知ると謂ふ。夫れ偏材の人は、皆短き所有り。故に、

現代語訳

それゆえ、人から短所を指摘されると、何かで覆いかぶせられたような気持ちになる。これがいわゆる、誇りとするところを指摘されると意地になる、ということである。人の情は上をしのごうとするものである。相手の嫌うところを侵しても、憎まれはするが、まだ害には至らない。しかし自分の長所をもって相手の短所を指摘すれば、これがいわゆる、憎しみをもって意地を突く、ということであり、妬みと憎しみが生まれる。およそこの六つの機微は、その行き着くところ、みな人の上に立ちたいということである。だから君子は人と接するとき、侵されても張り合わない。張り合わなければ、相手を敬って下に立たないことはなく、それが害を避けるすべとなる。小人はそうではなく、機微を見抜けないまま、人が自分に従うことを求める。見せかけの愛敬を受ければ特別扱いされたと思い、たまたま迎えられなかっただけで軽んじられたと思い、少しでもその機微に触れられれば、深く怨みとする。それゆえ、その人の感情の機微を観れば、賢い者か卑しい者かの志を知ることができる。では、その人の短所を観て長所を知るとは、どういうことか。そもそも偏った才能の人には、みな短所がある。だから、

解説

八観の第六「情機」を結び、第七「所短」に入る一節である。人は短所を指摘されると覆いかぶされたように感じて意地になり、とくに長所を振りかざして短所を突かれると妬みと憎しみが生じる。六つの機微はすべて「人の上に立ちたい」という一点に帰着する、と劉劭は見抜いた。そこで君子は、侵されても張り合わず、相手を敬うことで害を避ける。一方、小人は機微が見えず、人に従われることばかり求め、ささいなことを怨みにする。人の反応の仕方から、その人の器量が分かるということである。人に意見するとき、自分の得意分野から相手の弱点を突いていないか。相手の反発を招くのは内容より言い方であることが多い。

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