人物志 / 八觀
是故,《孝經》以愛為至德,以敬為要道;《易》以感為德,以謙為道;《老子》以無為德,以虛為道;《禮》以敬為本;《樂》以愛為主。然則,人情之質,有愛敬之誠,則與道德同體;動獲人心,而道無不通也。然
新字:是故,《孝経》以愛為至徳,以敬為要道;《易》以感為徳,以謙為道;《老子》以無為徳,以虚為道;《礼》以敬為本;《楽》以愛為主。然則,人情之質,有愛敬之誠,則与道徳同体;動獲人心,而道無不通也。然
書き下し
是の故に、『孝経』は愛を以て至徳と為し、敬を以て要道と為す。『易』は感を以て徳と為し、謙を以て道と為す。『老子』は無を以て徳と為し、虚を以て道と為す。『礼』は敬を以て本と為し、『楽』は愛を以て主と為す。然らば則ち、人情の質、愛敬の誠有れば、則ち道徳と体を同じくし、動けば人心を獲て、道通ぜざる無きなり。然れども
現代語訳
それゆえ、『孝経』は愛を最高の徳とし、敬を肝要の道とする。『易』は感じ合うことを徳とし、謙虚を道とする。『老子』は無を徳とし、虚を道とする。『礼』は敬を根本とし、『楽』は愛を主とする。そうであるなら、人の心の資質に愛と敬のまことがあれば、それは道徳と一体であり、動けば人の心をつかみ、道が通じないところはない。しかしながら、
解説
八観の第五「愛敬」の本論で、儒家と道家の古典を並べて、愛と敬が人の道の要であることを示す一節である。『孝経』『易』『老子』『礼』『楽』を学派の別なく引くところに、儒家を基本にしつつ道家や名家の考えも取り入れた魏の思想状況がよく表れている。劉劭は、愛と敬のまことを持つ人は道徳と一体であり、動けば人の心を得ると言う。ここでの愛は親しみ、敬は礼をもって距離を保つ心であり、どちらも人間関係を通じさせる力である。続く部分では、愛と敬の配分によって人がどう集まるかが論じられる。リーダーが部下に接するとき、敬意だけでは冷たく、親しみだけでは緩む。両方を誠実に持つことが、人の心を得る土台になる。
関連する章句
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人物志・八觀愛は敬より少なかるべからず。敬より少なければ、則ち廉節の者之に帰すれども、衆人与せず。愛、敬より多ければ、則ち廉節の者悦ばずと雖も、愛接する者之に死す。何となれば則ち、
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人物志・八觀敬の道たるや、厳にして相離る、其の勢い久しかり難し。愛の道たるや、情親しく意厚く、深くして物を感ぜしむ。
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人物志・八觀蓋し人道の極は、愛敬に過ぐる莫し。
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人物志・八觀故に言を聴き貌を信ずれば、或いは其の真を失ひ、情を詭り反を御すれば、或いは其の賢を失ふ。賢否の察は、実に依る所に在り。是の故に、其の依る所を観て、似類の質、知るべきなり。何をか其の愛敬を観て、以て通塞を知ると謂ふ。
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『慎思録』巻之一凡そ人倫に接するの道は、愛敬を以て心と為す。愛敬は親に事ふるに始まる。豈に啻だ父母に施すのみならんや。愛すれば則ち敢へて人を悪まず。之を拡むれば則ち博く施して衆を済ふに至る。仁の行なり。敬すれば則ち敢へて人を慢らず。之を拡むれば則ち敢へて鰥寡を侮らざるに至る。礼の行なり。人に接するの道は、此に尽くるのみ。二者は、皆日用彝倫の間に常に行ふべくして、須臾も離るべからざるの道なり。然れども愛敬は信を以て本と為す。苟も信無くんば、則ち容貌恭謹、言語姁姁たりと雖も、亦以て愛敬と為すに足らざるのみ。
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人物志・八觀何をか其の聡明を観て、以て達する所を知ると謂ふ。夫れ仁は徳の基なり、義は徳の節なり、礼は徳の文なり、信は徳の固なり、智は徳の帥なり。夫れ智は明より出づ。明の人に於けるは、猶ほ昼の白日を待ち、夜の燭火を待つがごとし。其の明益々盛んなる者は、見る所遠きに及ぶ。遠きに及ぶの明は難し。是の故に、業を守り学に勤むるも、未だ必ずしも材に及ばず。材芸精巧なるも、未だ必ずしも理に及ばず。理意晏給なるも、未だ必ずしも智に及ばず。智能く事を経るも、未だ必ずしも道に及ばず。道思玄遠にして、然る後に乃ち周し。是れ学は材に及ばず、材は理に及ばず、理は智に及ばず、智は道に及ばずと謂ふ。道は、回復変通するものなり。是の故に、別ちて之を論ずれば、各自独り行へば、則ち仁勝ると為し、合はせて倶に用ふれば、則ち明将と為る。故に明を以て仁を将ゐれば、則ち懐かざる無く、明を以て義を将ゐれば、則ち勝たざる無く、明を以て理を将ゐれば、則ち通ぜざる無し。然らば則ち、苟くも聡明無くんば、以て能く遂ぐる無し。故に声を好みて実克たざれば則ち恢く、弁を好みて礼至らざれば則ち煩はしく、法を好みて思深からざれば則ち刻く、術を好みて計足らざれば則ち偽る。是の故に、
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