人物志 / 八觀
何謂觀其聰明,以知所達?夫仁者德之基也,義者德之節也,禮者德之文也,信者德之固也,智者德之帥也。夫智出於明,明之於人,猶晝之待白日,夜之待燭火;其明益盛者,所見及遠,及遠之明難。是故,守業勤學,未必及材;材藝精巧,未必及理;理意晏給,未必及智;智能經事,未必及道;道思玄遠,然後乃周。是謂學不及材,材不及理,理不及智,智不及道。道也者,回復變通。是故,別而論之:各自獨行,則仁為勝;合而俱用,則明為將。故以明將仁,則無不懷;以明將義,則無不勝;以明將理,則無不通。然則,苟無聰明,無以能遂。故好聲而實不克則恢,好辯而禮不至則煩,好法而思不深則刻,好術而計不足則偽。是故,
新字:何謂観其聰明,以知所達?夫仁者徳之基也,義者徳之節也,礼者徳之文也,信者徳之固也,智者徳之帥也。夫智出於明,明之於人,猶昼之待白日,夜之待燭火;其明益盛者,所見及遠,及遠之明難。是故,守業勤学,未必及材;材芸精巧,未必及理;理意晏給,未必及智;智能経事,未必及道;道思玄遠,然後乃周。是謂学不及材,材不及理,理不及智,智不及道。道也者,回復変通。是故,別而論之:各自独行,則仁為勝;合而倶用,則明為将。故以明将仁,則無不懐;以明将義,則無不勝;以明将理,則無不通。然則,苟無聰明,無以能遂。故好声而実不克則恢,好弁而礼不至則煩,好法而思不深則刻,好術而計不足則偽。是故,
書き下し
何をか其の聡明を観て、以て達する所を知ると謂ふ。夫れ仁は徳の基なり、義は徳の節なり、礼は徳の文なり、信は徳の固なり、智は徳の帥なり。夫れ智は明より出づ。明の人に於けるは、猶ほ昼の白日を待ち、夜の燭火を待つがごとし。其の明益々盛んなる者は、見る所遠きに及ぶ。遠きに及ぶの明は難し。是の故に、業を守り学に勤むるも、未だ必ずしも材に及ばず。材芸精巧なるも、未だ必ずしも理に及ばず。理意晏給なるも、未だ必ずしも智に及ばず。智能く事を経るも、未だ必ずしも道に及ばず。道思玄遠にして、然る後に乃ち周し。是れ学は材に及ばず、材は理に及ばず、理は智に及ばず、智は道に及ばずと謂ふ。道は、回復変通するものなり。是の故に、別ちて之を論ずれば、各自独り行へば、則ち仁勝ると為し、合はせて倶に用ふれば、則ち明将と為る。故に明を以て仁を将ゐれば、則ち懐かざる無く、明を以て義を将ゐれば、則ち勝たざる無く、明を以て理を将ゐれば、則ち通ぜざる無し。然らば則ち、苟くも聡明無くんば、以て能く遂ぐる無し。故に声を好みて実克たざれば則ち恢く、弁を好みて礼至らざれば則ち煩はしく、法を好みて思深からざれば則ち刻く、術を好みて計足らざれば則ち偽る。是の故に、
現代語訳
では、その人の聡明さを観て、どこまで達する才かを知るとは、どういうことか。そもそも仁は徳の土台であり、義は徳の節度であり、礼は徳の飾りであり、信は徳の堅めであり、智は徳の統率者である。そもそも智は明(見通す力)から出る。明が人にとって持つ意味は、昼に太陽を頼り、夜にともしびを頼るようなものである。その明がますます盛んな者は、見える範囲が遠くまで及ぶ。遠くまで及ぶ明は得がたい。それゆえ、家業を守り学問に励んでも、必ずしも才に及ぶとは限らない。才芸が精巧でも、必ずしも道理に及ぶとは限らない。道理を解する心が豊かで弁が立っても、必ずしも智に及ぶとは限らない。智によって物事を処理できても、必ずしも道に及ぶとは限らない。道を思うことが奥深く遠くに及んで、はじめて行き届く。これを、学は才に及ばず、才は理に及ばず、理は智に及ばず、智は道に及ばない、という。道とは、めぐりめぐって変化に通じるものである。それゆえ、分けて論じれば、それぞれが単独で働くときは仁が最も優れ、合わせて共に用いるときは明が将となる。だから、明をもって仁を率いれば、なつかない者はなく、明をもって義を率いれば、勝たないことはなく、明をもって理を率いれば、通じないことはない。そうであるなら、もし聡明さがなければ、何事も成し遂げることはできない。だから、名声を好んでも実力が伴わなければ大言壮語となり、弁論を好んでも礼が行き届かなければ煩わしくなり、法を好んでも思慮が深くなければ苛酷になり、術策を好んでも計略が足りなければ偽りとなる。それゆえ、
解説
関連する章句
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人物志・八觀八に曰く、其の聡明を観て、以て達する所を知る。
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人物志・八觀聖の称たるは、明智の極明なればなり。是の故に、其の聡明を観て、達する所の材知るべきなり。
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人物志・八觀故に曰く、慈、吝に勝つこと能はざれば、其の能く仁なるを必とする無きなり。仁、懼に勝つこと能はざれば、其の能く恤むを必とする無きなり。厲、慾に勝つこと能はざれば、其の能く剛なるを必とする無きなり。是の故に、不仁の質勝てば、則ち伎力害器と為り、貪悖の性勝てば、則ち彊猛禍梯と為る。亦た善情の悪を救ひて、害を為すに至らざる有り。愛恵分篤ければ、傲狎なりと雖も離れず。善を助くる者明らかなれば、悪を疾むと雖も害無きなり。救済過厚なれば、人に取ると雖も貪らざるなり。是の故に、其の奪救を観て、間雑を明らかにするの情、得て知るべきなり。何をか其の感変を観て、以て常度を審らかにすと謂ふ。夫れ人は貌を厚くし情を深くす。将に之を求めんと欲すれば、必ず其の辞旨を観、其の応賛を察す。夫れ其の辞旨を観るは、猶ほ音の善醜を聴くがごとし。其の応賛を察するは、猶ほ智の能否を視るがごときなり。故に辞を観、応を察すれば、以て互ひに相別識するに足る。
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人物志・材理人も亦其の方に思ふの故を以て、己が意を了せざれば、則ち以て解せずと為す。人情は解せざるを諱まざるは莫し、解せざるを諱めば則ち怒構す。凡そ此の六構は、変の由りて興る所なり。然れども変構有りと雖も、猶ほ得る所有り。若し説きて難ぜず、各見る所を陳ぶれば、則ち由る所を知る莫し。此に由りて之を論ずれば、談じて理を定むる者は眇なり。必ずや、聡は能く序を聴き、思は能く端を造り、明は能く機を見、辞は能く意を弁じ、捷は能く失を摂り、守は能く攻を待ち、攻は能く守を奪ひ、奪は能く予を易ふ。此の八者を兼ねて、然る後に乃ち能く天下の理に通ず。天下の理に通ずれば、則ち能く人に通ず。八美を兼有すること能はず、適々一能有れば、則ち達する所偏にして、有する所目を異にす。是の故に、聡能く序を聴く、之を名物の材と謂ふ。思能く端を造る、之を構架の材と謂ふ。明能く機を見る、之を達識の材と謂ふ。辞能く意を弁ず、之を贍給の材と謂ふ。捷能く失を摂る、之を権捷の材と謂ふ。守能く攻を待つ、之を持論の材と謂ふ。攻能く守を奪ふ、之を推徹の材と謂ふ。奪能く予を易ふ、之を貿説の材と謂ふ。通材の人は、既に此の八材を兼ね、之を行ふに道を以てす。通人と言へば、則ち解を同じくして心喩り、衆人と言へば、則ち色を察して性に順ふ。明は衆理を包むと雖も、以て人に尚ばず。聡叡資給なるも、以て人に先んぜず。善言己より出づるも、理足れば則ち止む。鄙誤人に在るも、過ぎて迫らず。人の懐く所を写し、人の能くする所を扶く。事類を以て人の婟む所を犯さず、言例を以て己の長ずる所に及ばず。直を説き変を説きて、畏悪する所無し。虫声の善音を采り、愚人の偶得を賛す。奪与宜しき有り、去就留まらず。其の盛気に方りては、折謝して吝かならず。其の難に勝つに方りては、勝ちて矜らず。心平らかに志諭り、士無く莫無く、道を得るを期するのみ。是れ与に世を経め物を理むるを論ずべきなり。
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人物志・八觀然らば則ち、論顕らかにして正を揚ぐるは、白なり。言応を善くせざるは、玄なり。玄白を経緯するは、通なり。移易して正無きは、雑なり。未然を先識するは、聖なり。玄事を追思するは、叡なり。事を見ること人に過ぐるは、明なり。明を以て晦と為すは、智なり。微忽も必ず識るは、妙なり。美妙にして昧からざるは、疏なり。之を測りて益々深きは、実なり。仮合して炫耀するは、虚なり。
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人物志・八觀何をか其の奪救を観て、以て間雑を明らかにすと謂ふ。夫れ質には至有り違有り、若し至、違に勝てば、則ち悪情正を奪ひ、然るが若くにして然らず。故に仁は慈より出づるも、慈有りて仁ならざる者有り。仁には必ず恤有るも、仁有りて恤まざる者有り。厲には必ず剛有るも、厲有りて剛ならざる者有り。
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