人物志 / 接識
凡此之類,皆謂一流之材也。若二至已上,亦隨其所兼,以及異數。
新字:凡此之類,皆謂一流之材也。若二至已上,亦随其所兼,以及異数。
書き下し
凡そ此の類は、皆一流の材と謂ふなり。若し二至已上ならば、亦其の兼ぬる所に随ひて、以て異数に及ぶ。
現代語訳
およそこうした類はみな一流(一つの流れ)の才という。もし二つ以上の才に至っているなら、その兼ねるところに応じて、異なる種類の人にまで(理解が)及ぶ。
解説
前の一節で挙げた型の人々をまとめて「一流の材」、つまり一つの流れだけの才と呼ぶ。ここでの一流は、現代語の「一流」のような最高級の意味ではなく、一系統という意味である。一つの流れしか持たない人は、同じ型の人とは話がかみ合うが、異なる型の人とは長く付き合っても理解できない。しかし二つ以上の流れを兼ねる人は、兼ねた分だけ、異なる型の人の良さも分かるようになる。人を見る目の広さは、自分の中にある才の幅に比例するという考え方である。現代でも、複数の部署や職種を経験した人が他部門の事情を汲めるのは、この理屈による。経験の幅を広げることが、人を知る力を養う近道になる。
関連する章句
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人物志・接識故に一流の人は、能く一流の善を識る。二流の人は、能く二流の美を識る。
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『長短経』知人故に人物志に曰く「清節の人は、正直を以て度と為す。故に其の衆材を歴るや、能く性行の常を識るも、或いは法術の詭を疑う。術謨の人は、思謀を以て度と為す。故に能く策略の奇を識るも、或いは遵法の良を失す。伎倆の人は、功を邀うるを以て度と為す。故に能く進趨の功を識るも、道徳の化に通ぜず。言語の人は、弁折を以て度と為す。故に能く捷給の慧を識るも、含章の美を知らず。是を以て互いに相非駁して、肯えて相是とせず。凡そ此の類は、皆な一流と謂う。故に一流の人は能く一流の善を識り、二流の人は能く二流の美を識る。尽く諸流有らば、則ち亦た能く衆材に兼達せん」と。又た曰く「夫れ名を務むる者は己の後に出づる能わず。是の故に、性同じくして材傾けば、則ち相援けて相頼る。性同じくして勢均しければ、則ち相競いて相害す。此れ又た同体の変なり、察せざる可からず」と。〕
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人物志・接識尽く諸流を有すれば、則ち亦能く兼ねて衆材に達す。故に兼材の人は、国体と同じ。其の一隅を観んと欲すれば、則ち終朝以て之を識るに足り、将に其の詳を究めんとすれば、則ち三日にして後足る。何をか三日にして後足ると謂ふ。夫れ国体の人は、兼ねて三材有り、故に談ずること三日ならざれば、以て之を尽くすに足らず。一は以て道徳を論じ、二は以て法制を論じ、三は以て策術を論じ、然る後に乃ち能く其の長ずる所を竭くして、之を挙げて疑はず。然らば則ち、何を以て其の兼偏を知りて、之と言はんか。其の人と為りや、務めて流数を以て、人の長ずる所を杼べて、之が名目を為す、是くの如きは兼なり。如し陳ぶるに美を以てし、人の之を称せんことを欲し、人の有する所を知らんことを欲せざる、是くの如き者は偏なり。人を知らんことを欲せざれば、則ち言疑はざる無し。是の故に、深きを以て浅きに説けば、益々深くして益々異なり。異なれば則ち相返り、反すれば則ち相非とす。是の故に、多く陳べて直に処れば、則ち以て美を見すと為す。静かに聴きて言はざれば、則ち以て虚空と為す。抗して高談を為せば、則ち以て不遜と為す。遜譲して尽くさざれば、則ち以て浅陋と為す。言一善を称すれば、則ち以て博からずと為す。歴く衆奇を発すれば、則ち以て多端と為す。意に先んじて言へば、則ち以て美を分かつと為す。失に因りて之を難ずれば、則ち以て喩らずと為す。説くに対反を以てすれば、則ち以て己に較ぶと為す。博くするに異雑を以てすれば、則ち以て要無しと為す。
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人物志・接識能く同体の善を識るも、或いは異量の美を失う。
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人物志・材理夫れ九偏の材は、同有り、反有り、雑有り。同なれば則ち相解し、反なれば則ち相非とし、雑なれば則ち相恢す。
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人物志・材能人材は各々宜しき所有り、独り大小の謂いのみに非ざるなり。
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