人物志 / 材能
然則郡之與縣,異體之大小者也;以實理寬急論辨之,則當言大小異宜,不當言能大不能小也。若夫雞之與牛,亦異體之小大也,故鼎亦宜有大小;若以烹犢,則豈不能烹雞乎?故能治大郡,則亦能治小郡矣。推此論之,
新字:然則郡之与県,異体之大小者也;以実理寛急論弁之,則当言大小異宜,不当言能大不能小也。若夫鶏之与牛,亦異体之小大也,故鼎亦宜有大小;若以烹犢,則豈不能烹鶏乎?故能治大郡,則亦能治小郡矣。推此論之,
書き下し
然らば則ち郡と県とは、体を異にするの大小なる者なり。実理の寛急を以て之を論弁すれば、則ち当に大小宜しきを異にすと言ふべく、当に大を能くして小を能くせずと言ふべからざるなり。若し夫れ雞と牛とも、亦体を異にするの小大なり、故に鼎も亦宜しく大小有るべし。若し以て犢を烹れば、則ち豈に雞を烹ること能はざらんや。故に能く大郡を治むれば、則ち亦能く小郡を治む。此を推して之を論ずれば、
現代語訳
そうだとすれば、郡と県とは、規模の異なる大小の単位である。実際の道理である性格の寛急によってこれを論じ分ければ、大小それぞれに適するところが異なると言うべきであって、大きな所は治められるが小さな所は治められないと言うべきではない。鶏と牛もまた規模の異なる小と大であるから、鼎にも大小の適したものがあるはずである。もし(その鼎で)子牛を煮られるのなら、どうして鶏を煮られないことがあろうか。だから大きな郡を治められる者は、小さな郡も治められるのである。これを推し広げて論じれば、
解説
前の一節の議論を具体的に展開する。直前で劉劭は、寛弘な人は郡国を治めて部下に功を立てさせるのに向き、急小な人は百里の県を治めて自分で事を処理するのに向くと述べていた。郡と県は規模の違う単位にすぎないから、言うべきは「大小で適するところが違う」であって、「大はできて小はできない」ではない。鼎の譬えも、子牛を煮られる鼎なら鶏も煮られるはずだと切り返す。論理を詰めて通説の言い回しの誤りを正す、劉劭らしい論法である。組織でも、大きな部門を率いた人が小さなチームで力を出せないとすれば、能力不足ではなく、任せ方や役割の設計が合っていない可能性を考えるべきだと示唆している。
関連する章句
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人物志・材能或ひと曰く、「人材に大を能くして小を能くせざる有り、猶ほ函牛の鼎は以て雞を烹るべからざるがごとし」と。愚以為へらく此れ名に非ざるなり。夫れ能の言為る、已定の称なり。豈に大を能くして小を能くせざる有らんや。凡そ所謂大を能くして小を能くせずとは、其の語は性に寛急有るに出づ。性に寛急有り、故に宜しく大小有るべし。
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人物志・材能寛弘の人は、宜しく郡国を為すべし。下をして其の功を施すを得しめて、其の事を総成す。急小の人は、宜しく百里を理むべし。事を己に辦ぜしむ。
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人物志・材能人材は各々宜しき所有り、独り大小の謂いのみに非ざるなり。
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人物志・材能又国に俗化有り、民に劇易有り。而して人材同じからず、故に政に得失有り。是を以て、
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人物志・材能凡そ偏材の人は、皆一味の美なり。故に一官を辦ずるに長じて、一国を為むるに短なり。何となれば、
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人物志・材能故に臣は自ら任ずるを以て能と為し、君は人を用うるを以て能と為す。臣は能く言うを以て能と為し、君は能く聴くを以て能と為す。臣は能く行うを以て能と為し、君は能く賞罰するを以て能と為す。能とする所同じからず、故に能く衆材に君たるなり。
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